軍港の街として発展した京都府舞鶴市.旧海軍施設への鉄道線用として造られ,今なお大切に保存されている煉瓦隧道を訪れた.
この日は隣の宮津市の栗田隧道を探索した後,一路東に向かい,東舞鶴駅近くの市営駐車場に車を停めた.そこから三笠通りを西に5分ほど歩いてゆき.舞鶴共済病院の手前で右に折れると,
緩やかな曲線を描く遊歩道.点字ブロックとタイルで線路が表現されているように,ここから先は廃線跡である.
国鉄舞鶴線から分岐し,舞鶴鎮守府に向かう結ぶ支線が開業したのは1904年 (明治37年) 1.当初軍需物資や兵員の輸送のための引込線という位置づけだったが,大正8年 (1919年) からは北吸 (東門)・中舞鶴の両駅を持つ旅客路線としても営業していた 1.しかし戦後は需要が低迷し,昭和47年 (1972年) に全線が廃止されている 1, 2.その廃線跡を整備したのが,この遊歩道,舞鶴市道北吸桃山線である 2.
上の写真の位置から歩くことわずか3分で,目的としていたものが現れた.
北吸トンネル,明治37年 (1904年) 竣工 3,近代土木遺産Cランク 4,国登録有形文化財 3.鉄道らしい馬蹄型の坑口を持つ,総煉瓦造りの隧道である.
接近してみると,
アーチは5層巻きで,両脇にはピラスターを備えている.ピラスターは手前に向かってやや傾斜しており,装飾だけでなく,坑門の倒壊を防ぐ本来の役割も果たしているものと思われる.
見上げると,
帯石と笠石を備えている.しかし明らかに後付けの扁額は感心しない.おそらく元々は扁額などなかったのではないか.わざわざ貼り付ける必要があったのか…?
内部は基本的にコンクリートで改修されているものの,坑口から数メートルの区間はオリジナルの煉瓦アーチが残っている.
アーチ部分は長手積み,側壁部分はイギリス積みとなっている.
コンクリートの覆工もアーチ部分だけで,側壁部分は煉瓦が露出している.そのため,
鉄道トンネルには必須の待避抗の跡も確認できる.
洞内の照明は,
ナトリウムランプだろうか,オレンジ色の柔らかい光である.これも後付けには違いないが,雰囲気は良い.
こちらも坑口付近は当初の姿を留めている.この景観が残っていてよかった.
東口から脱出.
いつまででも眺めていられるような美しさ.
アーチの右下には,
最後に東側坑門の全体.
鉄道廃線跡は数あれど,隧道は安全のために封鎖されている場合が多いし,そうでなくてもたいていはアクセス自体が難しい.そんな中で原形をとどめたまま整備され,しかも街中にあって気軽に訪問できるというのは素晴らしい.今後も旧海軍の煉瓦倉庫群 (舞鶴赤れんがパーク) ともども,市民や観光客に親しまれる存在であってほしいと思う.
この日の探索はこれにて終了した.まだ明るいが,京都縦貫道が混まないうちに家路につくことにした.
おまけ
ご当地ソフトクリームは遠出の楽しみのひとつである.この日も帰り道,京丹波PAで黒豆ソフトクリームを食した.
参考文献
- 舞鶴市民新聞社 (2008) "11月2日、JR東駅をスタート地点に 国鉄中舞鶴線の廃線跡歩こう!に参加呼びかけ【舞鶴】 | 舞鶴の新鮮な情報配信 Maipress-マイプレス- 舞鶴市民新聞" 2021年7月23日閲覧.
- 舞鶴市 (2016) "舞鶴の近代化遺産(鉄道施設(舞鶴線)) | 舞鶴市 公式ホームページ" 2021年7月23日閲覧.
- 文化庁 (2002) "北吸隧道 - 国指定文化財等データベース" 2021年7月23日閲覧.
- 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 180-181,土木学会.