天辻の険を越え,熊野川流域に抜けてきた国道168号 (西熊野街道).2車線の快走路となった現道の影で放棄され,崩れゆく旧道の姿をレポートする.
目次
はじめに
新旧の天辻隧道で峠を越えた国道168号 (西熊野街道).南麓の五條市阪本は未だ改良途中で急カーブや狭隘区間が多い上,バイパス工事が進行中であるため,運転中は気が抜けない.この工事によって旧道となる大塔橋は,昭和31年 (1956年) 製のワーレントラス橋 (出典: 橋梁史年表) で,リベット打ちの質感が好ましかったのだが,とても車を停めて探索する余地はなかった.見たところ,既に新しい橋はほとんど完成しているようだったから,早いうちに改めて訪ねたいと思う.
さて,大塔橋から先,西熊野街道は天ノ川 (熊野川) に沿って南に進む.阪本から1.5kmほど進むと,川は昭和32年 (1957年) に完成した猿谷ダムのダム湖 (猿谷貯水池) となる.
曲がりくねったダム湖の形状を,現道は「小代下トンネル」(ピンの位置) とその南の2本の橋で躱している.
今回探索したのは,その旧道である.と言っても,ダムの底に沈んだ道ではない.ダム建設に伴う付け替え道路として造られ,おそらく線形や幅員の改良のため,20年ほどで現道に主役の座を譲った道である.
上の地図にも (執筆時点では) 一部を除いて描かれているが,旧道は小代下トンネルの西側をダム湖に沿って進み,小代下トンネルの南口で現道と交差する.その後,ダム湖に注ぐ2本の谷 (芝崎谷,瀧谷) を現道よりも東側で跨いでいる.本記事では,前半の小代下トンネルの旧道をレポートする.
探索記録
旧道への誘い
実はこの旧道の探索は予定にないものだった.ダム湖畔の廃橋 (次回レポート予定) が主目的であり,その探索後,「ちょっと見てくるか」という軽い気持ちで立ち寄ったのだ.しかしその結果目にしたのは,思いも寄らない光景だった.
旧道へは南側から進入した.
こちらは現道の小代下トンネルの南口.おなじみ「平成16年度道路施設現況調査」によると昭和52年 (1977年) 竣工.扁額には名称と当時の奥田良三知事の名が刻まれている.
「トンネルを見たら脇を探せ」の鉄則通り,左側 (西側) に旧道が伸びている.
特に「立入禁止」とも書いていないしバリケードもない.舗装は剥がされているが,轍はある.本能的に「誘われている」と感じた.
車は現道の150mほど先の路肩に停めたままにして,歩いて進軍を開始した.結果的にはこれが正解だった.車で進入していたら,確実に後悔することになっただろう.
上の写真でも見えている最初の右カーブの外側には,
朽ち果てたガードレール.ここが現代的な道路の廃道であること,少なくとも戦後にこの道が使われていたことを物語る,個人的には大好きな遺構だ.
カーブを抜けると舗装が復活した.そしてその先には,
隧道だ!
2本の隧道
接近して.
2本の隧道が連続している.隧道自体は無装飾のコンクリート造りで扁額もない.正直に言うと見どころは少なく,わざわざ訪れる対象にはならないものだが,予想外の隧道を自分で見つけたという点が,私にとっては価値がある.
なお,これが予想外だったのは事前に地図を見ていなかっただけのことで,後で地理院地図を見ると描かれていた (Googleマップには描かれていない).
ただ,地理院地図は2本の隧道を,明かり区間を無視して1本の隧道として描いてしまっている.もっとも後述のように廃道となっている現状では,この誤差は意味を持たないに違いない.
隧道の内部はコンクリート覆工.1本目の隧道を抜ける直前で見上げてみると,
やや大きな亀裂.無表情で佇む隧道だが,相当くたびれていたようだ.型枠目地がはっきりと見えるあたりも,いかにも古い施工という印象.
五條側に抜けて振り返り.
坑門工は東側と同様.扁額も工事銘板もなく,現地では文字情報は一切得られなかった.
後日「平成16年度道路施設現況調査」をもとに調べてみたところ,本隧道は「小代下3号トンネル」,竣工は昭和31年 (1956年) だった.現道の小代下トンネルが昭和52年だったから,わずか20年ほどで旧道落ちしたことになる.
そして名称から推察されるように,この旧道には本隧道を含めて「1号」から「3号」までの3本の隧道が存在する.もちろん,先ほど奥に見えていたもう1本の隧道が「2号」である.それより先に「1号」があるのだが,前もって述べておくと,今回の探索では「1号」に辿り着くことはできなかった.
さて,次の隧道を見てみよう.
手ブレで醜くて恐縮だが,こちらが小代下2号トンネル,昭和31年 (1954年) 竣工.外観は「3号」と瓜二つで,まるで鏡に映したかのようだ.
こちらも坑口付近にクラックが走っていた.
直ちに圧壊したりすることはないと思うが,この後に見た道路状況からして,今後補修されることもないのだと思われる.
五條側に抜けて振り返り.
御年65歳.現役で活躍したのは20年ほどで,その倍以上の年月を旧道として過ごしてきた「寡黙な」隧道に,ひたむきさを感じずにはいられない.
死にゆく道
2号トンネルを出てすぐのところには,小さな御社が建っていた.
落葉が堆積しており,よほど放置されているのかと思ったが,供えてある榊は古いものではなかったので,定期的に訪れる人はいるのだろう.ということは,ここより先が真の「廃道」となるのかもしれない.
御社で手を合わせてから先に進む.
予想していた通り,徐々に道が荒れてきた.
その先には,
風で倒れたバリケード.この旧道に入ってから初めて目にする明確な封鎖だった.
倒れているのも気持ちが悪いので起こしてみると,
「この先トンネル内上部危険につき通行止 五條市」.この先に控えている小代下1号トンネルのことに違いない.「2号」「3号」と同様,巻き立てに損傷がみられるのだろうか.
しかし,この先で私が目にするのは,「トンネル内上部危険」どころではない,凄惨な状況だった.
目の前のカーブを抜けると,
山側の斜面が崩壊していた.崩土からは緑が顔を出しており,そう新しいものではないことを窺わせる.
この崩落は徒歩や自転車なら簡単に突破できるが,オフロード車以外の車だとそうはいかないはずだ.にもかかわらず,この前後にバリケードなどは設置されていなかった.この旧道が既に管理放棄されている可能性が濃くなってきた.
気を付けて崩落を越えたところには,
大きな掘割!!「2号トンネル」「3号トンネル」の位置と同様,岩盤が湖面に急角度で落ちゆく地形だが,ここは隧道ではなく切り通しが選ばれたようだ.素掘りのままの岩盤に,道を開いた先人の強い意志と苦労が偲ばれる.
撤退
豪快な掘割を抜けると,私が恐れていた光景が現れた.「それ」から目をそむけるように,まずは川側の路肩を見てみると,
やや大きく崩れている.豪雨でダム湖の水位が上昇した際に,路肩の擁壁 (石垣?) が水没したのではないかと思われる.また,ここにはAバリケードが設置されており,道路管理が行き届いていた時期の崩落であることがわかる.廃道となっているこの旧道だが,「平成16年度道路施設現況調査」に1号・2号・3号のトンネルが載っていることからも,少なくともその頃には一応の管理がなされていたはずなのだ.
近寄ってみると,
土台を失ったガードレールが宙に浮いていた.微妙なバランスを保っているようだ.次にここを訪れる時には,既に湖底に沈んでいるかもしれない.
さあ,現実に向き合う時だ.2枚上の写真にも写っていたのだが,先に進むと………
大 崩 落.
恐ろしい規模で,岩盤が流出していた.地盤を強固にするはずの木も,崩落を抑えるための落石防護ネットもまったく意味をなしていない.もしここを通過中の車が居たら,豊浜トンネル岩盤崩落事故や玉川岩盤崩落事故の二の舞になっていたに違いない.山を貫通する現道を造った道路管理者の判断は正しかったということになるだろう.
以前国道303号寒風トンネルの旧道で見た崩落を思い出す.県によって廃道が宣言されているほどの道だったが,それでも手前にはガードレールのバリケードが設置されていた.ここにはそれすらもない.真に「捨てられた」道であることを悟った.
先に進むにはここをなんとか越える必要がある.川側は,
路肩まで瓦礫に埋まっており,逃げ場がない.
山側は,
少しだけ登ってみた.堅い地質らしく,案外安定している.慎重に足を運べば越えられそうだ.
しかし私は,ここで進軍を止めた.
実は「行きがけの駄賃」のつもりの探索だったので,私は荷物のほとんどを車に残していた.地図も,軍手も,熊用・蜂用の撃退スプレーも車の中だった.それどころか,真夏日にも関わらず飲み物すら持ってきていなかった.この後の予定も考えると,取りに戻るのは時間のロスが大きい.この旧道は打ち棄てられた廃道であり,軽装備で立ち向かえる物件ではない.万一のことがあっても,現道からはまったく見えず,スマホも圏外のこの場所では,助けを呼ぶことも叶わない.消化不良ではあるが,全てが自己責任のこの趣味では,引き際が大切だ.
おわりに
ダム建設に伴う付け替え道路として造られ,20年ほどで現役を退いた国道168号旧道を探索した.結果として,小代下2号トンネルと小代下1号トンネルの間で大崩落に遭遇し,撤退した.
この日の帰り,現道から北側の旧道分岐を見てみると,バイパス工事関係の車が山のように停まっていた.この日は祝日にもかかわらずである.地域にとって非常に重要な道路だから,休工日なしで作業を進めているのかもしれないが,だとすれば探索はやりづらい.それでも,近い内に必ず「1号トンネル」を含む残りの区間も見に行くつもりだ.
次回の記事では,この道の南側に続く旧道と旧橋をレポートする.
(2021. 10. 4. 追記) この記事を公開した3日後,この旧道を再訪し,全区間の攻略に成功しました.下書きが山ほど溜まっているので,記事ができるのはいつになることやらですが,乞うご期待.