交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

奥山田第三隧道 (2021. 5. 15.)

近くを通ったついでに,私の活動の原点とも言える廃隧道を再訪してきた.

 

奥山田第三隧道は,京都府宇治田原町,国道307号の旧々道に位置する.私が初めて訪問した廃隧道で,交通遺産をめぐる趣味を始めるきっかけとなった物件でもある.本ブログの黎明期にも記事にした (諸事情により削除済み) が,国道307号を通る用事があったこの日,およそ3か月ぶりに再訪した.

 

国道307号現道の奥山田バイパスから旧道に入ると,一気に交通量が減った.毎度のことながら,これから幽邃な地へ向かうという気持ちが湧いてくる.旧道は急カーブの先で「奥山田隧道」を潜る.名前は似ているがこれは昭和世代の現役隧道で,今回の目当てではない. それでも現状は記録したので,そちらはおまけで掲載する.

 

昭和の隧道を抜けていつもの場所へ車を止め,明治生まれの隧道と対面した.

奥山田第三隧道.明治45年 (1912年) 竣工,近代土木遺産Bランク 1.煉瓦アーチとその最上部で輝く要石,両脇のピラスター,上部の帯石と笠石と,明治隧道らしい構成要素の全てを揃えた素晴らしい造りである.それに無粋な封鎖もない.

 

隧道の外観は3ヶ月前と変わっていないようで,とりあえず一安心である.しかし,置かれている木材や,上から垂れている枯れ竹の具合にすら変化がないとは思わなかった.

 

坑口付近に立って上を向くと,

非常に装飾的であることがわかる.帯石は二段の凸型になっており,笠石も煉瓦3層積みである.そして笠石の下にはノコギリ状の模様,いわゆる雁木である.「明治四十五年三月竣工」と読みやすい字で刻まれた銘板も素晴らしい.

 

向かって左側には,

これまた珍しい,従業人の名前を刻んだ銘板である.わざわざ後世に彼の名を残していることは,隧道開鑿にあたっての当時の人々の並々ならぬ熱意のあらわれだろう.

 

ところで,上の銘板には「横濱市浅間町 三谷事 青木市太郎」とある.地名と人名はいいとして,「三谷事」とは何だろうか.この道の大家たる永冨謙氏も10年以上前に同じ疑問にぶつかっていた 2 ようで,当該記事のコメント欄を見ると,おそらく「○○組」のような業者の名前ではないかという結論になっていた.

 

洞内を望む.

煉瓦の巻き立てはすぐに終わり,その先は素掘りである.素掘り隧道というと,岩盤をくり抜いた荒々しい断面がイメージされるが,ここはそれとは真逆の丁寧な印象であった.そういう地質なのだろう.

 

懐中電灯を手に先に進む.未舗装で少しだけぬかるんでいるのは以前と同じである.しかし,今日はどうも奥の水たまりが広い.以前は壁伝いに行けば全く問題なかったのだが,今日はそれも厳しい.今日は長靴など持ってきていないし,別の用事もあるから足を濡らすのは憚られた.残念だが,引き返すことにした.

 

引き返した地点から大福側 (第一・第二隧道側) を望む.

向こうに行けないのは残念だが,美しい光景だった.

 

再び立派な坑門を抜け,「また来るね」と呟いて車に戻った.実はここは,自宅から車で1時間もかからずに来られる場所である.定点観測的に今後もちょくちょく訪問したいと思う.

おまけ

昭和の隧道である「奥山田隧道」についても,通過するついでに観察した.

坑門はいたってシンプルな意匠である.扁額は大福側が左書きで「奥山田隧道」.奥山田側が植生に覆われて読めないのが残念だが,「道路探訪」さま 3 の写真を見ると,左書きで「山谷神霊洞」と思われる.山や谷といった自然に神を認める日本らしい雅号だと思う.

参考文献

  1. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 182-183,土木学会.
  2. 永冨謙 (2010) "旧道倶樂部録"(2010-03-30)" 2021年6月10日閲覧.
  3. とよのしん (刊行年不明) "京都のトンネル - 道路探訪" 2021年6月10日閲覧.