交通遺産をめぐる

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綾部市の弁天橋 (考察編)

以前訪問した綾部市の弁天橋について,気になることがあって調べていた.疑問が完全に明らかになったわけではないのだが,現時点で可能な限りの調査を終えたので,その結果を報告する.

 

※上の画像は2021年5月3日に撮影したもの.

目次

導入

調査のきっかけ

訪問記録の記事では橋の名前について触れていなかったが,「弁天橋」という名前はもちろん弁財天に由来する.橋の袂に小さなお堂があり,そこに弁財天が祀られていた.そしてその前に,こんな看板が立っていた.

本文部分を引用する.

和知川の流れが群境に接するところ井坪滝と言って峡谷を成す。その河中一大巨岩をなし千古の青松を頂き絶景を作る。寛文元年 (一六六一) 山家第二代藩主谷大学頭衛政公 此の地に遊びこの岩島上に和知川七神社の一つとして弁財天を勧進し尊崇を集めた。大正十一年由良川発電所建設工事により滝頭一変し大堰堤となり是亦一大偉観を呈す。昭和二十八年の風水害の損傷著しくダム防護の為岩島除去の工事により弁天橋のたもとに奉祀する。

ここで注目すべきは,昭和28年の風水害 *1 をきっかけに,弁財天宮を「弁天橋のたもとに奉祀」したという記述である.つまりその時点で,「弁天橋」は存在していたことになる.一方,現地の銘板によると,今の弁天橋の架橋は昭和41年である.被災から10年以上経過した後にお宮を移すということはないだろうから,昭和28年頃の時点で,より古い「弁天橋」,つまり旧橋が架かっていた可能性がある.

 

旧橋が存在したのであれば,どんな橋だったのか,そしてなぜ架替えられたのかが気になるところだ.さらに派生した疑問として,現在の通行止めの理由と,弁天橋の今後の行く末についても興味を持った.

解決したい疑問点

以上の経緯から,調査・考察した疑問は以下の通りである.

  • 旧・弁天橋について
    • 存在したのか
    • どのような橋だったのか
    • 架橋に至る経緯
  • 現・弁天橋 *2 について
    • 旧橋からの架替えの経緯
    • 現・弁天橋が通行止めになった経緯
    • 現・弁天橋の今後

旧・弁天橋について

旧・弁天橋の存在と素性

結論から述べると,旧・弁天橋は存在した.

 

根拠となる資料は「山家史誌」2 で,これは弁天橋の位置する旧山家村地域の歴史を著した書籍である.その367ページに,以下のような記述がある.

昭和二十三年戸奈瀬・下替地を結ぶ吊橋が架橋され弁天橋と名付け景観を添える。

やはり,昭和28年より前に弁天橋が架かっていた.そして,旧・弁天橋は昭和23年 (1948年) に架けられた吊橋だったという.もっと詳しく旧橋の素性を知りたいものだが,残念ながらこれ以外の情報は得られなかった.

旧橋架設の経緯

旧橋を架設するに至った経緯については,残念ながら「山家史誌」2 に記述がなく,他に言及している資料も発見できなかった.しかし,旧橋架設の前年の昭和22年 (1947年) 11月,橋の南詰から東に約500m地点に山陰本線立木駅が開業していることは,無関係ではないだろう.駅開業の経緯については「和知町誌」3 の784ページが詳しいが,周辺住民の度重なる陳情によって設置が決まり,駅の敷地や工費,そして工事自体も全て住民の負担で完成したそうだ.また,今回の調査にあたって入手した昭和25年 (応急修正版) の地形図を見ると,駅の対岸である戸奈瀬や才原の地に,神社や乾田の記号があることから,そこに集落があった (現在もある) ことは間違いないだろう.これらのことを考えると,対岸集落の人々が立木駅を利用するための近道として,旧・弁天橋が架けられた可能性が高い.

現・弁天橋について

架換えに至る経緯

ここまでで,旧・弁天橋が架けられたのは昭和23年 (1948年) ということが明らかになっている.一方,現・弁天橋が架けられたのは昭和41年であるから,旧橋は20年足らずで架換えられたということになる.私は吊橋の専門家でもなんでもないが,些か短い寿命のように思う.だとすればその理由が気になるところだが,残念ながら橋の架換えに関する資料は発見できなかった

 

資料がないなら想像するしかないが,私の中で一番もっともらしい説は,風水害による橋の流出である.最初に昭和28年の風水害に言及したが,そもそも由良川は古くから知られる暴れ川であり,近世以前から台風や豪雨で幾度となく洪水被害が発生している 4.旧橋が架けられたのは戦後間もない時期で,あまり頑丈な橋ではなかった可能性もあるから,風水害で流出ないし通行できない状況になったとしても不自然ではない.実際,昭和41年台風24号 5,昭和40年台風23号 6,昭和39年台風20号 7など,架換えの前には毎年のように京都府北部に台風が襲来している.

 

別の典型的な説として,弁天橋の下にある由良川ダムの水位上昇という理由も考えられるが,平成になってから発電所が新しくなったということ以外,特にダムや発電所に変化があったという話は聞かないので,こちらは可能性が低いと思われる.

通行止めに至る経緯

現・弁天橋が通行止めになった経緯についても,明確な資料を見つけることができなかった.しかし,手掛かりはある.現地にあった通行止めを告げる看板には,

平成16年7月1日より通行に支障があるため弁天橋を通行止にします。

とあった.つまり,平成16年7月の直前ごろ,弁天橋に問題が発生した可能性が高い.

 

そう思って調べてみると,平成16年台風6号というのがヒットした.同年6月21日に舞鶴市 (綾部市の隣である) 付近を通過した台風で,西日本を中心に死者・行方不明者5名,家屋損壊200棟以上という大きな被害をもたらした 8.以前から劣化の兆候は表れていたのかもしれないが,日付からして,当該台風が致命傷を与えたのは間違いないだろう.それにしても,昭和28年の風水害のことも含めて,自然災害に翻弄された橋という印象である.

弁天橋の今後

そんなわけで現在通行止め中の現・弁天橋について,復旧工事が行われて供用が再開される可能性は,残念ながら皆無と言わざるを得ない.「山家史誌」2 の266ページ,および現地の看板から,本橋の管理者は綾部市であることがわかっている.その綾部市の「橋梁長寿命化修繕計画」 9 には,綾部市の管理する120の橋の点検計画や記録が掲載されており,もちろん弁天橋の項目もあるのだが,「点検実績」や「点検計画」が空欄で,「点検を実施しない理由」の欄に

全面通行止めの為

と記載されている.つまり,綾部市としては今後点検も修繕もしないという,完全放棄を宣言しているわけだ.恐ろしく哀れな扱いである.

 

先に述べたように,本橋は山陰本線立木駅へのアクセスルートとして架設された可能性が高い.しかしながら,立木駅は昨今「秘境駅」として取り上げられることがある 10 ほど,利用客の極端に少ない駅となっている.「京都府統計書」11, 12, 13 によると,立木駅からの乗車客数は,2014年度で5000人 (1日平均13.7人),2015年度で4000人 (1日平均11.0人),2016年度で3000人 (1日平均8.2人) となっている.ちなみに最新の版 14 では空欄となっているが,利用者数が劇的に増えているとは考えづらい.一方最新の時刻表では,立木駅に停車する列車は各方面に1日16本ずつの合計32本あることから,誰も乗り降りしない列車も多数あるものと思われる.かつての地元住民が何度も請願し,工事費用や労働力を全て負担してまで開設した駅も,今やこのような状況である.

 

また,立木駅の対岸には国道27号が通っているだけでなく,2008年には京都縦貫自動車道の京丹波わちICが設置されている 15立木駅が開業した昭和20年代とは比べるまでもないほどモータリゼーションは進展し,山村は今や都会を超える車社会である.最寄りの町である綾部や福知山,港町として古くから栄える舞鶴,そして京都市へ出かける住民も,1時間に1本の列車を待つのではなく,便利で速い自家用車でさっさと向かってしまうに違いない.

 

こんな状況であるから,綾部市として橋を復旧させる必要性が乏しいと判断されても仕方がないだろう.今後さらなる風水害で,弁天橋が再び支障される可能性も無視できない.それがなくても,そもそも長さが100mを超え 2,しかも直下は由良川ダムで足場を組むことすら難渋しそうな吊り橋を,ごくわずかな利用者のために,税金を使って維持管理するのが割に合わないことは,想像に難くない.

おわりに

本報告では,綾部市の弁天橋について「旧橋が存在したのか」という疑問に始まり,「通行止めの弁天橋が今後どうなるのか」までを考察した.大変悲観的な結論となってしまったが,このままレポートを終えるのは忍びないので,個人的な希望を述べたいと思う.

 

「山家史誌」2 の517ページには,地域住民の意見などを集約した「願い」として,以下の記述がある.

弁天橋の架け替えにより府道(下替地)と国道(井坪)を結ぶ新弁天橋(仮称)を架橋

とある.当該資料の刊行は1987年であるから,現在のような人道橋ではなく,自動車の通行に耐える橋を望んでいたものと推測されるが,この下替地,つまり立木駅の側の府道450号と井坪,つまり対岸の国道27号を結ぶ「新弁天橋」は,ある程度意義のある事業ではないかと,素人には思えるのだ.もちろん,下替地側も過疎化が進んでいると思われるので,架橋によるメリットが苦しいことは確かだが,由良川ダムの大瀑布は整備すれば十分観光スポットになるだろうし,そもそも景観に配慮した新しい橋は,それ自体が観光スポットになり得る.立木駅秘境駅として売り出すのも一手だろう.「新弁天橋」が架かれば,幹線国道である国道27号だけでなく,京都縦貫道からのアクセスも至近となる.荒唐無稽だが,こんな夢物語を披露して,本報告を終えることとする.

参考文献

  1. 気象庁 (刊行年不明) "災害をもたらした気象事例 台風第13号 昭和28年(1953年)9月22日~9月26日" 2021年6月12日閲覧.
  2. 山家史誌編さん委員会・編 (1987) "山家史誌" 山家公民館.
  3. 和知町誌編さん委員会・編 (1994) "和知町誌" 第2巻,和知町
  4. 国土交通省近畿地方整備局福知山河川国道事務所 (刊行年不明) "由良川流域のあらまし | 河川の取り組み | 国土交通省近畿地方整備局 福知山河川国道事務所" 2021年6月12日閲覧.
  5. 気象庁 (刊行年不明) "災害をもたらした気象事例 台風第24号、26号 昭和41年(1966年)9月23日~9月25日" 2021年6月12日閲覧.
  6. 気象庁 (刊行年不明) "災害をもたらした気象事例 台風第23号、24号、25号 昭和40年(1956年)9月10日~9月18日" 2021年6月12日閲覧.
  7. 日本放送協会 (刊行年不明) "台風20号・1964年(昭和39年) 9月24〜25日~自然災害の記録~NHK東日本大震災アーカイブス" 2021年6月12日閲覧.
  8. 気象庁 (刊行年不明) "災害をもたらした気象事例 台風第6号 台風第6号
    平成16年(2004年)6月18日~6月22日"
     2021年6月12日閲覧.
  9. 綾部市建設部建設課 (2021) "綾部市橋梁長寿命化修繕計画その2" 2021年6月12日閲覧.
  10. 牛山隆信 (2001) "立木駅 - 秘境駅へ行こう!" 2021年6月12日閲覧. 
  11. 京都府政策企画部企画統計課情報分析係 (2016) "平成26年京都府統計書(平成28年刊行)" 2021年6月12日閲覧.
  12. 京都府政策企画部企画統計課情報分析係 (2017) "平成27年京都府統計書(平成29年刊行)" 2021年6月12日閲覧.
  13. 京都府政策企画部企画統計課情報分析係 (2018) "平成28年京都府統計書(平成30年刊行)" 2021年6月12日閲覧.
  14. 京都府政策企画部企画統計課情報分析係 (2021) "令和元年京都府統計書(令和3年刊行)" 2021年6月12日閲覧.
  15. 京都府道路公社 (刊行年不明) "丹波綾部道路|京都府道路公社" 2021年6月12日閲覧.

*1:昭和28年台風13号のことと思われる.京都北部を含む近畿地方を中心に,死者・行方不明者478名・浸水・損壊家屋520,000棟以上の甚大な被害をもたらした台風である 1

*2:廃橋なのに「現」を付けるのはおかしいかもしれないが,先代の橋と区別するため,このように表記している.