交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

再度隧道 (2021. 5. 8.)

神戸市の街中,かつての有料道路の入り口にある古い隧道を訪ねた.

導入

再度 (ふたたび) 隧道.不思議な名前だが,これは再度山 (ふたたびさん) ドライブウェイという道路名に由来する.再度山という山は,空海が二度詣でた (一度目は船旅の安全を祈願し,二度目は無事に帰ったことへのお礼参り) ことから,そう呼ばれるようになった 1 そうだ.しかしここでややこしいのは,再度隧道は再度山を潜る隧道ではない.あくまでも「再度山ドライブウェイの隧道」という意味であり,再度隧道が潜る山は堂徳山という.

 

この日は猪名川町林田隧道の探索を終えた後,阪急バスと阪急電車を乗り継いで,神戸市の中心地である三宮に着いた.市バスに乗り「山本通4丁目」で降りる.住宅地のようなバス停の名前で,事実街中なのだが,ここが隧道最寄りの停留所である.ちなみに,三宮を出てからここまで,わずか15分足らずである.神戸は瀬戸内海に面した港町であると同時に,海のすぐそばまで迫る六甲山地の麓の町であることを実感した.

 

バス停から少し東に戻った交差点を北に折れると,「再度山ドライブウェイ」と呼ばれる,かつての有料道路が始まる.ドライブウェイというと人里離れた山奥を通っているような気がするけれど,このあたりは住宅地が広がっており,歩道もある.しかし急坂はいかにも山岳道路である.以下のストリートビューでもその勾配が伝わると思う.

道は正面の堂徳山に突き当たると右に進路を変える.しかし迂回するわけではなく,その先でヘアピンカーブを描いて山に正対する.そこが,再度隧道の東口である.

本編

東側坑門

再度隧道.昭和9年 (1934年) 竣工 (後述),近代土木遺産Cランク 2 .アーチの形状がやや四角形寄りだが,これはおそらく幅員を確保するための策だろう.現代の自動車からするとやや狭い(それでも普通車同士の離合は容易である) だが,竣工した時代を考えると明らかに幅広で,有料道路らしさがある.

 

坑門の意匠は独特である.

壁面は薄い石板 *1 を積み上げて造られており,煉瓦隧道に似た美しさがあるが,色の影響でより明るい印象である.迫石と要石 (白御影石だそうだ 2) ,そして笠石は分厚く締まりがある.何より面白いのは,坑口の部分だけが前方にせり出していることである.同様の意匠は滋賀県の湖北隧道 3 や観音坂隧道 4 (いずれも未訪問) でも見られるが,個人的には,豪邸の玄関ホールのような印象を受ける.

 

東側扁額.

おそらく左書きで「深道閣」である.隧道に「閣」とは珍しいが,そこがまた邸宅のような感じを強めている.全体としては深山,つまり再度山に至る道 (のある閣) のような意味ではないかと,個人的には考えている.

 

「深道閣」の左にも何か書かれている.現地では読み取れなかったが,「くるまみち」さまのの写真 5 が比較的読みやすかった.右側の列には「甲戌春三月」とある.甲戌は1934年 (昭和9年) のことであろう.「日本の近代土木遺産」に記載された「1935年」という竣工年より1年早いが,1935年は再度山ドライブウェイ自体の開通年である 6 から,隧道自体はもう少し早く完成していたということだと思う.その左の列には揮毫者の名前のようだが,こちらは判然としない.「藤田」と書かれているように思うが,誰のことかはわからない.少なくとも,当時の神戸市長や兵庫県知事の名前ではなさそうだ.

洞内

歩道などないが,歩行者通行止めとも書かれていないので,車に気をつけながら入洞する.

コンクリートブロック積みである.煉瓦や石の時代より後,場所打ちコンクリートより前という短い時代の工法で,比較的珍しいと思う.しかし愚か者による落書きが見るに堪えない.

 

内部の劣化は進んでいるようで,多数のブロックでセメントが剥がれて骨材が露出していた.以下の写真は特に顕著な部分である.

普段見ているコンクリートが何で出来ているのかがよくわかる.しかしこのような劣化が放置されているというわけではなく,一部区間ではネットが張られていた.素人考えではライナープレートなどで覆ってしまうのが手っ取り早いように思うが,そうなるとこのコンクリートブロック積みの構造を目にすることは叶わなくなる.現状程度の補修で持ちこたえてくれることを祈る限りである.

 

さらに進むと,退避坑を塞いだような痕跡が見つかった.

これは不思議である.鉄道トンネルならともかく,この程度の長さの道路隧道なら,退避坑は本来必要でないはずだ.残念ながらこの穴の正体は不明だが,個人的には「スタレモノ」さまの記事 7 が推理するように,戦時中の防空壕の跡という説が有力に思える.

西側坑門

車に轢かれないように素早く脱出し,西側坑門を振り返る.

意匠は東側と同じようだ.坑口付近の笠石が見当たらないが,扁額右上に金具のようなものが写っているから,何らかの原因で剥がれてしまったのだろう.しかし,坑門という隧道の「顔」に当たる部分に落書きがあるのは嘆かわしい.

 

西側扁額.

「闊天洞」.そもそも隧道は地中に道を通すものだが,天を闊歩するような洞,とはまた不思議な名前である.そしてこちらも風化によって「闊天洞」の左側の文字が読めなくなっているが,「スタレモノ」さまの記事 7 の写真を見ると,東側と同じ内容のように思われる.

 

最後に,西側から覗いた洞内の様子.

まもなく御年100歳を迎える再度隧道.美しいだけでなく,コンクリート黎明期の貴重な土木遺産であり,これからも長く現役を貫いてほしいと思う.

参考文献

  1. 山と渓谷社 (刊行年不明) "再度山 - ふたたびさん:標高470m-東海・北陸・近畿 - Yamakei Online / 山と溪谷社" 2021年6月8日閲覧.
  2. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 192-193,土木学会.
  3. 永富謙 (2005) "旧道倶樂部活動報告書・湖北隧道" 2021年6月9日閲覧.
  4. 永富謙 (2005) "旧道倶樂部活動報告書・観音坂隧道" 2021年6月9日閲覧.
  5. よとと (刊行年不明) "兵庫隧道集 by.くるまみち" 2021年6月9日閲覧.
  6. 山口敬太 (2010) "戦前の六甲山における公園系統の計画と風景利用策に関する研究―1920 年代に作成された二つの山地開発計画の策定経緯と目的―" 都市計画論文集,45 (3),pp. 241-246,2021年6月9日閲覧.
  7. こざとへん (2019) "再度山隧道(仮) : スタレモノ" 2021年6月9日閲覧.

*1:だと思われる.「日本の近代土木遺産2 には石ポータルとあるので.