交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

端駈橋 (2021. 5. 4.)

連休最後の晴れ間となったこの日,奈良県内の古い橋梁を3箇所巡った.最初に訪れたのは,近代土木遺産として有名な端駈橋 (はなかけばし) である.

目次 

導入

端駈橋は,奈良盆地の南端・御所市の葛城川に架かる道路橋である.かつての主要街道・下街道にあり,現在も生活道路として現役で活躍している.橋名の由来は,市街地の端に架かっているから「端架け橋」という説,旧地名の花掛に由来する説,橋の欄干に鼻輪を引っかけて牛を洗っていた故事から「鼻掛け橋」という説など複数知られている 1 そうだ.

訪問

今回探索した場所は,本橋も含めていずれも市街地の中であり,駐車スペースに困らないように公共交通機関を利用した.近鉄電車で橿原神宮前まで行き,奈良交通バスに乗り換えて約20分,「瑞駈橋」バス停で降りると,端駈橋は目前であった.

端駈橋.昭和3年 (1928年) 竣工,近代土木遺産Bランク 2 .鉄筋コンクリート造の優美な充腹欠円アーチ橋である.

 

橋上の風景.

昭和初期の道路としては随分広く,現代でも十分通用する幅員である.この後述べるような豊富な装飾も含めて,当時のこの街道の重要性が窺える.

装飾

竣工時期が近いこともあってか,以前レポートした旧長尾橋と造りは似ている.しかし大きく異なるのは,その装飾の多さである.まず,アーチ部分に着目すると…

楯状の輪石模様で,石アーチ風に仕立ててある.五角形の上端の角が浅いところが,欠円アーチとマッチしていて美しい.そしてその上部,路面の高さには規則的な歯形模様,いわゆるデンティルが施されている.市松模様のようで楽しい.

 

ちなみに上の写真の中央左手,パイプの奥に,工事関係者の名前を刻んだ銘板が掲げられている.風化と画質の荒さでわかりにくいが,一番右に吉田登という名前が刻まれている.興味深いことに,彼の名前は旧長尾橋の銘板にも刻まれている 1 そうだ.当時の奈良県の橋梁建築のスペシャリストだったのだろう.

 

次に高欄.近くで見ると,このようになっている.

奈良県の近代化遺産」1 は,奈良の「奈」の字ではないかと推測している.なるほど,確かにそんな風に見える.

 

そして忘れてはいけないのが,橋の両側面,アーチの要石に掲げられたライオンのレリーフである.

橋の上からは見えない側面に,これほど凝った装飾があるのは珍しいだろう.しかもよく見ると,両側で表情が異なる.写真1枚目 (西側) では口を開けているが,2枚目 (東側) では口を閉じている.つまりこれは阿吽である.

 

なぜライオンの装飾があるのかは明らかになっていない.しかしライオンの装飾と言えばドアノッカーであるから,厄除け・魔除けのような想いが込められているのかもしれない.阿吽になっているのも,神社の狛犬のようで,やはり邪気払いという感じである.ところで,ドアノッカーのライオンの輪っかは口に咥えているものと思うが,遠目には鼻輪のように見える.そう考えると,牛の鼻輪を欄干に掛ける故事から「はなかけ橋」という説ともマッチする.しかし本橋のライオンに輪っかはないので,特に関連はないのかもしれない.

親柱

本橋は素晴らしいことに,親柱が4本とも残っている.

順に「端駈橋」「葛城川」「はなかけばし」(変体仮名)「昭和三年三月架換」である.

 

「架換」とは気になる表示だ.旧橋の存在を示唆しているが,どんな橋だったのだろうか.現在の姿がこれだけ装飾に富んでいるのだから,旧橋も負けないくらい装飾的だったのかもしれない.バス停の名前が「駈橋」で,現在の名前と漢字が違うのも,旧橋に由来しているのかもしれない.「瑞」はめでたい漢字だから,装飾に富んだ橋の名前としては相応しいと思われる.もちろん,全て私の憶測である.

参考文献

  1. 奈良県教育委員会・編 (2014) "奈良県の近代化遺産 : 奈良県近代化遺産総合調査報告書" p. 137,奈良県教育委員会. 
  2. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 182-183,土木学会.