兵庫県市川に架かる近代的なRCアーチ橋を訪ねた.
市川新橋を後にして甘地駅に戻り,普通電車でひとつ次の鶴居駅で下車.レポートは省略するが,ここにも古い木造駅舎が残っていた.駅前広場を真正面に歩いてゆくと,ほどなくして,
市川を渡る大きな橋となる.
まずは下流側から.
屋形橋,昭和8年 (1933年) 竣工,近代土木遺産Bランク 1.
手前 (右岸) が鋼桁,続いて中央部はRCタイドアーチ1連,奥 (左岸) の高水敷はRC桁となっている.実に多彩だが,鋼桁の部分は後補である.当初ここもRCアーチだったのだが,堤防道路との交差点の妨げになるという理由で,昭和52年 (1977年) に鋼桁に置換えられたそうだ 2.また,現存しない右岸側の親柱も,この工事の際に失われたと思われる.
鋼桁部で見つけた銘板.昭和51年6月に東京鉄骨橋梁製作所で造られたことが記されている.
続いて,本橋のハイライトを飾るアーチ部分.形状は優美だが,それでいて部材は太く重厚で,頼りないような印象は与えない.やや狭めな幅員も含めて,直感的に安定しているように見えるのは,機能美そのものだと思う.
並行して架かる人道橋からの景.
アーチの先はRC桁.地味なようだが,単純桁ではなく3径間連続桁が2本連なっている 2.これも当時の最新技術だったはずだ.
RC桁部分の橋上の景.背の低い高欄は当初のものだが,開口部に設けられた台形の飾りは戦後の作である 2.元々はここに鋳鉄のグリルが設けられていたそうだ.
渡った先に設置されていた解説板.アーチが2連だった頃の貴重な写真も載っている.
左岸側には石造りの親柱が残っていた.灯具は解説板にあったように,町によって復元されたものだ.
題額は「やかたはし」とみられるが,下半分が欠けている.
と思ったら下に落ちていた.起こして立てかけておいたが,半年以上が経ってしまった今,まだ残っているだろうか.
道路を挟んで反対側の親柱には「架市川」.同じ市川町内の振古橋や市川新橋でもみられた「架〇〇川」のフォーマットだ.
橋の下は藪が濃そうだったので,桁裏の観察は見送った.
最後に,左岸側からの景.
一部改築されてはいるものの,竣工から90年近くを経て良好な保存状態で現役で活躍する,素敵な近代土木遺産だった.
この後は駅に引き返して家路についた.途中何か所か寄り道はしたのだが,いずれもちょっとレポートにしにくい結果だったので,この日の探訪記事はこれで完結とする.