交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

市川町の屋形橋 (2021. 8. 29.)

兵庫県市川に架かる近代的なRCアーチ橋を訪ねた.

 

市川新橋を後にして甘地駅に戻り,普通電車でひとつ次の鶴居駅で下車.レポートは省略するが,ここにも古い木造駅舎が残っていた.駅前広場を真正面に歩いてゆくと,ほどなくして,

市川を渡る大きな橋となる.

 

まずは下流側から.

屋形橋,昭和8年 (1933年) 竣工,近代土木遺産Bランク 1

 

手前 (右岸) が鋼桁,続いて中央部はRCタイドアーチ1連,奥 (左岸) の高水敷はRC桁となっている.実に多彩だが,鋼桁の部分は後補である.当初ここもRCアーチだったのだが,堤防道路との交差点の妨げになるという理由で,昭和52年 (1977年) に鋼桁に置換えられたそうだ 2.また,現存しない右岸側の親柱も,この工事の際に失われたと思われる.

 

鋼桁部で見つけた銘板.昭和51年6月に東京鉄骨橋梁製作所で造られたことが記されている.

 

続いて,本橋のハイライトを飾るアーチ部分.形状は優美だが,それでいて部材は太く重厚で,頼りないような印象は与えない.やや狭めな幅員も含めて,直感的に安定しているように見えるのは,機能美そのものだと思う.

 

並行して架かる人道橋からの景.

 

アーチの先はRC桁.地味なようだが,単純桁ではなく3径間連続桁が2本連なっている 2.これも当時の最新技術だったはずだ.

 

RC桁部分の橋上の景.背の低い高欄は当初のものだが,開口部に設けられた台形の飾りは戦後の作である 2.元々はここに鋳鉄のグリルが設けられていたそうだ.

 

渡った先に設置されていた解説板.アーチが2連だった頃の貴重な写真も載っている.

 

左岸側には石造りの親柱が残っていた.灯具は解説板にあったように,町によって復元されたものだ.

 

題額は「やかたはし」とみられるが,下半分が欠けている.

 

と思ったら下に落ちていた.起こして立てかけておいたが,半年以上が経ってしまった今,まだ残っているだろうか.

 

道路を挟んで反対側の親柱には「架市川」.同じ市川町内の振古橋市川新橋でもみられた「架〇〇川」のフォーマットだ.

 

橋の下は藪が濃そうだったので,桁裏の観察は見送った.

 

最後に,左岸側からの景.

一部改築されてはいるものの,竣工から90年近くを経て良好な保存状態で現役で活躍する,素敵な近代土木遺産だった.

 

この後は駅に引き返して家路についた.途中何か所か寄り道はしたのだが,いずれもちょっとレポートにしにくい結果だったので,この日の探訪記事はこれで完結とする.

参考文献

  1. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 198-199,土木学会.
  2. 兵庫県教育委員会事務局文化財室・編 (2006) "兵庫県の近代化遺産 : 兵庫県近代化遺産 (建造物等) 総合調査報告書" p. 116,兵庫県教育委員会事務局文化財室.