交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

宇和島市・愛南町の (旧) 鳥越隧道 (2021. 4. 20.)

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前回の記事の続き.大渡隧道を訪れた後は再び愛媛県に戻り,この日最後の目的地である「鳥越隧道」に向かった.同名の隧道は各地にあるので,記事タイトルに地名を冠してある.

目次

内海側 (南側) 坑門へのアプローチ

大渡隧道から来た道を戻る.旧日吉村からは国道320号・松山自動車道・国道56号と経由して,沿岸部に達したところで「鳥越ずい道」を抜ける.現道のトンネル名が「ずい道」とはいかにも古いが,実態は「トンネル」と呼びたくなるような,ありふれたコンクリート造りであった.

目指す隧道はこのトンネルの旧道にあたり,宇和島市津島町と愛南町 (旧内海村) にまたがっている.この記事では,「鳥越ずい道」と書けば現道のトンネルを,「鳥越道」と書けば今回目指した旧隧道を指すこととする.

 

ちなみにこの鳥越隧道,Google マップで見ると強烈な線形に見える.

こんなヘアピンカーブが隧道内にあってたまるか.もちろんこれは誤りで,ピンの位置あたりが津島側坑門であった.木々が生い茂って航空写真から道が判然としない部分をトンネル扱いしてしまっているのであろう.一方の内海側坑門の位置はおおむね地図通りであった. 

 

現道の鳥越ずい道を抜けて県道292号に入り,200mほど先の分岐を右折した先が旧道である.ぐんぐん登って現道を越えたところの分岐を左折すると,旧鳥越隧道・津島側坑門は目前である.

 奥に少しだけ坑門が見えている.その手前の左に進む道は,峠越えの旧旧道と思われる.

内海側坑門

さてさて,待望の坑門とご対面……

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えっ…封鎖されてる…!?そんな……

 

この日2度目の,予想外の封鎖であった.フェンス右手の白い物体はコンクリートブロックで,大人の背丈より高く積まれている.しかしこの封鎖の仕方は行政という感じではない.私有地として払い下げられたのか.

 

ともかく,立派な坑門である.

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鳥越隧道.大正8年 (1919年) 竣工,近代土木遺産Cランク 1.アーチ部は3層の煉瓦巻き,胸壁と側壁 (アーチの下部) は切石積み.美しい造りこみである.

 

煉瓦と石による巻き立ては数メートルで終わり,その先は荒々しい素掘りとなる.

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隧道中央付近に反射板付きのカラーコーンが置かれている.暗いのでよくわからないが,側面が崩れているのだと思う.「隧道探訪」さまの調査 2 によると昭和36年に二度も大崩落が起きたらしいが,それ以降も小規模な崩落は断続的に起きているのだろう.

 

バリケードを無理やり超えることはできたかもしれないが,レンタカー屋の閉店時刻も迫っていたため,入洞は見送った.その代わり,あまりに残念な封鎖を隠すため,この日の相棒ルーミーくんを坑門前に付けてバリケードを隠し,現役時代を模した写真を撮影した.

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うむ,良い感じ.

津島側 (北側) 坑門へのアプローチ

内海側坑門を後にし,再び現道の鳥越ずい道を抜けて津島側へ向かう.すぐ先で左折して県道318号に入り,国道の下をボックスカルバートでくぐると旧道となる.

遠いのでわかりにくいが,高架下をくぐる一車線道が旧道である.しばらくは畑の中を抜ける農道という雰囲気であったが,農地を抜けると一気に状況が悪化した.例によって時間がなかったので写真は撮れなかったのだが,路面は枯れ枝や落ち葉に覆われ,両脇から生い茂る藪に車体をこすりつつ *1 の進軍であった.普通車で向かうべき道ではない.軽四かオフロードバイクで向かうべきであろう.なお,「隧道探訪」さまの記事 2 には隧道封鎖前の15年前の写真があるが,その当時でもかなり荒れていたようだ.私が確認した中で最も新しい道路状況の写真は,約10か月前の「はみ男の日記(仮)」さまの記事 3 である.

津島側 (北側) 坑門

そうしてようやくたどり着いた津島側坑門の姿がこちらである.

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反対側から眺めて察していた通り,しっかりコンクリブロックが積まれている.残念な封鎖である.しかもせっかくの石積みの側壁部が隠されており,勿体ない.それでも,石積みと煉瓦アーチの立派な坑門は隠し切れない.

 

しかしこのブロックはどうやって運んだのだろうか?到底人力で運べるものではないと思うが,津島側の道路はクレーン付きのトラックなど入れる状態ではなかった.内海側から隧道をくぐって運んだのだろうか?それにしても小さな隧道だから難しそうだが….

 

坑門手前の左側に,ゴミが投棄された獣道 (旧旧道だろうか?) があり,そこに車の頭を突っ込んで無理やり転回した.そうしてこちら側でもバリケードを隠した姿を記録しようとしたが,封鎖の横幅が広く,難しかった.

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これが限界か.手ブレ気味だが,既に暗くなりかけていたのでご容赦を.

 

封鎖は残念だが良い隧道だった.この後は来た道を戻り,宇和島駅前のレンタカー店で車を返却した.閉店約10分前,ギリギリの到着であった.

参考文献

  1. 土木学会土木史委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選" 土木学会.
  2. マフ巻隧道探検隊 (2006?) "鳥越隧道ー隧道探訪" 2021年5月5日閲覧.
  3. はみ男 (2020) "鳥越隧道(廃)ーはみ男の日記(仮)" 2021年5月5日閲覧.

*1:傷にはならなかったはず.レンタカー返却時のチェックでは問題なかった.