交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

大渡隧道 (2021. 4. 20.)

f:id:myaurroi2:20210505020104j:plain

高研隧道を後にした私は,さらに東に進み,次の目的地である大渡隧道に向かった.この日4本目の隧道で,ここだけは愛媛ではなく高知県である.

 

高研山トンネルで県境を越え,四国カルストの真下を国道440号で素通りした後,仁淀川沿いの国道33号に入る.「仁淀ブルー」で有名な中津渓谷の手前の旧道にあるのが,今回の目的地「大渡隧道」である.旧道区間は130mほどと非常に短い上に生活道路として活用されている雰囲気で,アプローチは容易であった *1

 

というわけで,特に前置きとして述べるべきことはないので,早々に隧道の姿をお披露目する.

f:id:myaurroi2:20210505020104j:plain

f:id:myaurroi2:20210505015932j:plain

大渡隧道.昭和7年 (1932年) 竣工,近代土木遺産Cランク 1.古い隧道だが,時代を考えるとややオーバースペックと思えるほどの幅員と高さがあり,旧国道らしいと思う.

 

それにしても,独特の意匠である.ピラスターが横幅もさることながら奥行きも巨大で,まさに「柱」という感じがする.

f:id:myaurroi2:20210505020135j:plain

f:id:myaurroi2:20210505015932j:plain

そして,坑門の表面だけでなくピラスターの側面にも彫られたスリット (「日本の近代土木遺産1 いわく "アール・デコ風の線刻") といった装飾も独特である.当時普及し始めたコンクリートという材料に対する,設計者の期待のようなものを反映しているのかもしれない.

 

内部.

f:id:myaurroi2:20210505020221j:plain

コンクリート巻きである.

 

さて,この隧道が出来た経緯については,「隧道探訪」さまの記事 3 で詳しく考察されている.隧道が出来る以前から,山の上には水力発電所があり,山の斜面を送水管などの構造物が通っていたために切り通しにすることができなかったのではないか,ということである.なお,その発電所は,仁淀川にできた発電用の大渡ダムに取って代わられ,現在は送水管も撤去されている (このことは私も隧道の上に登って確認した).そして,そのダム建設と,現道が完成し大渡隧道が旧道化したのは,同じ時期のようだ.現道は「大渡橋」という橋で川側にせり出している.旧発電所関係の構造物を撤去したことで土地に余裕ができたということであろう.では,なぜ無用の長物となった大渡隧道自体を撤去することなく,架橋によって道路を拡幅したのだろうか.隧道があまりに巨大で撤去費用が馬鹿にならなかったのか,それとも大切な土木遺産だから残されたのか.部外者である私にそこのところはわからないが,何となく後者であれば良いなと思う.

 

この後はしばらく来た道を戻り,都合4回目となる高研山トンネルを通過して愛媛県に入った.この日最後の目的地は,宇和島市の鳥越隧道であった.

おまけ (旧落出大橋)

国道33号は,大渡隧道から西に約15km進んだ地点の「落出大橋」で仁淀川 (この辺りでは面河川とも呼ばれる) を渡る.そのすぐ脇に古そうな橋を見つけたので,思わず車を止めた.

f:id:myaurroi2:20210505020322j:plain

落出大橋.昭和10年 (1935年) 竣工 4.それまでの吊橋に代わって架けられた2代目で,1967年に現橋が供用 4 されるまで現役であったようだ.現役を退いた後はバスの駐車場として活用されていた5が,現在は車止めが置かれ,人道橋となっている.

 

ところで,私が特に気になったのは,西側の取付部である.

f:id:myaurroi2:20210505020349j:plain

なんかやけに傾いていないか…?欄干上部が離れてしまっているところに,無理やり高さを合わせたような感じを受ける.バスが橋上で駐車していたくらいだから大丈夫なのだろうが,強烈な印象であった.

参考文献

  1. 土木学会土木史委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選" 土木学会.
  2. マフ巻隧道探検隊 (2004?) "大渡隧道―隧道探訪" 2021年5月5日閲覧.
  3. マフ巻隧道探検隊 (2004?) "特別企画:大渡隧道考察―隧道探訪" 2021年5月5日閲覧.
  4. 土木学会附属土木図書館・編 (2008) "橋梁史年表" 2021年5月5日閲覧.※藤井郁夫 (1992) "橋梁史年表 BC-1955" 海洋架橋調査会,および藤井郁夫 (2000) "橋梁史年表&世界の長大橋(CD-ROM版)" 海洋架橋調査会をもとに,同氏による改訂が加えられた平成20年1月版のデータに基づくデータベース.
  5. しろ (2014) "旧国道33号線・落出大橋ー廃線隧道【BLOG版】" 2021年5月5日閲覧.

*1:「日本の近代土木遺産1 には "半ば廃道" との記述があり,また未舗装であったり内部に廃車体が放棄されていた時期もあった 2 ようだ.