愛媛シリーズ第二弾.三瓶隧道を出た後はさらに南下し,西予市宇和町と宇和島市明浜町の間にある「俵津隧道」に向かった.
俵津隧道は,愛媛県道45号宇和明浜線の野福トンネルの旧道にあたる.県道の名前にある宇和 (町) と明浜 (町) を隔てるのが野福峠で,そこを貫く隧道である.この県道の行きつく先は,明浜町のなかでも俵津 (旧俵津村) と呼ばれる地域なので,隧道名はそこに由来するものであろう.片方の地名だけが隧道名に採用されているのは三瓶隧道と同じである.三瓶隧道の名前は,旧三瓶村が隧道を待望し,かつ工事費用の負担が大きかったことから付けられたものである 1 が,この俵津隧道も似たような経緯があったのかもしれない.三瓶村も俵津村も,山を越えないと市街地に辿り着けない土地である.
国道56号から県道45号に入り,野福トンネル手前で右折して旧道に入る.道幅は1.5車線ほどあり,多少のぬかるみはあるものの,それほど荒れた道という印象はない.ぐんぐん高度を上げ,現道のトンネル真上を過ぎると,すぐに目指す俵津隧道の北側坑門が現れた.
俵津隧道.大正15年 (1926年) 11月24日竣工 2.近代土木遺産Bランク 3.こちらも旧道とはいえ現役で活躍中.坑門はコンクリート製だが,迫石とピラスターを備えた重厚な意匠である.
扁額も残存.
ふくよかな読みやすい字で「俵津隧道」.
坑門で特徴的なのは左右のピラスターである.
宮殿の門構えのようである.土木学会による「日本の近代土木遺産」3 は "ゴシック風三鉾ピラスター" と形容し,鈴鹿隧道や高尾谷隧道との類似を指摘している.また,この後に訪問した高研隧道のポータルについて「俵津隧道を簡易化したもの」であるとしている.また,この道の大家たる永富謙氏の調査 4 では,土屋隧道も (改修前には) 同様のピラスターを備えていたことが明らかにされている.高研隧道は愛媛県と高知県の境に位置し,土屋隧道は愛媛県内である.一方の鈴鹿隧道と高尾谷隧道は,愛媛から遠く離れた三重県に位置する.どのような理由があって,これだけ離れた土地の隧道に類似した意匠が施されたのかは,未だ明らかになっていない.いずれにしても,現代と違ってコンクリートが普及し始めた頃のこと,それも当時は大工事であった隧道掘削に際して,設計者が創意工夫を凝らしたことは想像に難くない.
さて,入洞.
コンクリの巻き立てはすぐに終了し,荒々しい素掘りにモルタル吹き付けとなる.こういうトンネル内部を見ると,人の腸が思い浮かぶ.
素掘り区間がしばらく続いた後,南側坑門近くではコンクリートブロック積みになったと記憶しているのだが,愚かなことに写真を撮り忘れた.著名サイトである「くるまみち」さまに綺麗な写真がある 5 ので,気になる方はそちらを参照されたい.南側坑門では再びコンクリ巻き立て区間になる.表面が剥がれて鉄筋がむき出しになったところも何か所か見受けられた.
上の素掘り区間の写真でもモルタルの剥落が見受けられるように,この隧道の劣化はかなり進んでいるように思われた.探索時点で封鎖や立入禁止の措置はとられていなかったが,この後訪れた高研隧道のことを思うと,時間の問題かもしれない.
ともかくレンタカーともども無事に脱出し,南側坑門とご対面.
やはり陽が当たる側は明るい雰囲気である.坑門のデザインは北側と同じようだ.それにしても草臥れた標識は本当に良い仕事をしている.
この後は山を下りた後,一路東へ向かった.次の目的地は,先ほども言及した高研隧道である.
おまけ
俵津隧道を出て現道へと下る途中,急に左の視界が開け,宇和海が見えた.
これまでずっと山道を走ってきたので意識していなかったが,考えてみれば俵津は沿岸の村であった.素晴らしい景色で良いリフレッシュになった.
参考文献
- 西予市教育委員会スポーツ・文化課 (2018) "国登録 三瓶隧道" 2021年5月2日閲覧.
- 内務省土木試験所・編 (1941) "本邦道路隧道輯覧" p. 68, 内務省土木試験所,2021年5月2日閲覧.
- 土木学会土木史委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選" 土木学会.
- 永冨謙 (2005) "旧道倶楽部活動報告書・鈴鹿隧道" 2021年5月2日閲覧.
- よとと (2019) "俵津隧道(愛媛) by.くるまみち" 2021年5月2日閲覧.