愛媛シリーズ第3弾.愛媛県と高知県の境にある高研 (たかとぎ) 隧道を訪ねた.
俵津隧道を後にし,カーナビに従って一路東へ向かった.酷道と名高い国道441号と国道197号を経由したが,いずれも改良された快走路であった.そうしているうちに,「高研山トンネル」というトンネルに入る.名前からわかるように,目指す高研隧道に取って代わった新トンネルである.ナビ任せで詳細を把握していなかったのだが,どうやらいったん現道で峠を越えて,高知側から隧道にアクセスするルートのようだ.
長い記事になってしまったので,目次を設置する.隧道の姿を見るだけであれば,アプローチの項目はスキップしていただいて構わない.
隧道へのアプローチ・高知側編
高研山トンネルを抜けてすぐ左折する.ここからが旧国道とみられる (やや線形が不自然なので,現道の開通に伴って付け替えられたのかもしれない).
横断歩道より手前 (トンネル側),墓地のまわりを大きく左に回っていく狭い道が進路である.
ところで,上のストリートビューで進む方向をズームすると「全面通行止」という看板が見える*1.これは,この先の高研隧道が通行止めであるという標示であり,私が訪問した際にも設置されていた.
正直,この事態は予想していなかった.どうやら高研隧道は2013年頃から通行止めが続いているらしい 1.私が事前に閲覧したサイトは,たまたま封鎖前の記事ばかりだったようだ.とはいえ,通行止めは行政のサイトでも告知されているし 2,きちんと調べておくべきだったと反省……とほほ.
ともかく,ここまで来て引き下がるわけにはいかないので,先へ進む.それまでの2車線の快走路とは打って変わって,酷道となった.ルーミーでギリギリの道幅,急坂,急カーブ.集落の中はそれだけだったが,だんだん山を登るにつれて,舗装が穴ぼこだらけになってきた.何度か床下から「ゴンッ」という嫌な音が響いて肝を冷やした.二輪で穴に嵌りでもしたらはずみで崖下に落ちるだろうと思われた.ここまで書いておいて何だが,道中の写真はない.高研隧道の後にもう2か所の隧道を巡る予定があり,コロナの影響でレンタカーの営業所の閉店も早まっていたため,時間的余裕がなかったのである.しかしながら,とにかく酷い道であったことは明言しておく.旧・国道197号 (現・鬼北町道日向谷線),高研隧道の高知側は非常に危険な道路状況である.
高知側坑門
そうしてようやくたどり着いた隧道の姿がこちらである.
寸分の隙間もなく封鎖されている.車はもちろん,人が侵入するのも面倒くさそうだ (越えられないことはないが).ともかく,坑門の意匠はよくある昭和中期頃のスタイルで,特徴的なのは迫石と帯石風の模様くらいである.しかし,この隧道の竣工は昭和3年 (1928年) 3 ,前回の俵津隧道が完成してから1年半ほどしか経っていないのである.もうお分かりの通り,この高知側坑門は,後年に改修された姿である.
扁額は…
あるのか…?苔に埋もれてしまってまったくわからない.内部はよく見るライナープレート (波打ち鋼板) で巻き立てられているようだ.
隧道へのアプローチ・愛媛側編
さて,この隧道の真の魅力は,当初の姿を留める愛媛側にある.予定では,隧道を通り抜けてあっという間に愛媛側に到達するはずだったのだが,塞がれているならば現道経由で向かうしかない*2.隧道手前は道幅が広くなっていたため,2-3回の切り返しで転回できた.狭い隧道なので,行き違いのために拡幅してあったのだろう.酷道を再び走って現道に下り,先ほども通った高研山トンネルで愛媛側へ抜ける.トンネルを出ると右 (北) への分岐があり,そこから愛媛側坑門にアクセスできるようだ.下の写真はその道の入口である.
随分廃れた門で,まるで廃墟となった施設の入口のようだ.紫の部分は電光掲示板だろうか?かなり不気味な雰囲気である.
どうもこの道は旧道という感じがしない.センターラインがあるし,路面も非常に綺麗である.坂はものすごく急だが.おそらく,旧道をがっつり拡幅したのであろう.後で調べてみると,この道は東津野城川線という林道で,四国カルストまで繋がっているらしい 4.いかにも需要が多そうな道である.ともかく,この道は高知側の旧道とはまるで違う快走路であった.迷う可能性のある分岐は二回だけあったと記憶している.一つ目はここ.
カーナビの地図にない分岐で,Googleマップを見ようにも当然のように圏外であったが,三瓶隧道のときの失敗を生かして,登る道を選んだら正解であった.その次の分岐は,そもそも片方の道がバリケードで塞がれており,選択の余地がなかった*3.
ぐんぐん高度を上げ,現道のトンネルの真上を通過すると,その先にさらに分岐があった.左は四国カルスト方面,右は目指す高研隧道・愛媛側坑門の目の前であった.
愛媛側坑門
高研隧道.昭和3年 (1928年) 5月竣工.近代土木遺産Cランク 3.日当たりが良いせいで植物に覆われているが,堂々とした佇まいである.迫石より内側のコンクリート巻き立てと,迫石より下の部分が手前にせり出しているのは後年の補修であろう.実際,「本邦道路隧道輯覧」の坑門図 6 を見ると,やはり迫石がアーチを構成している*4.
それにしても坑口付近の落書きが見苦しい.高知側と比べてこちら側 (愛媛側) は容易にアクセスできるからであろうが,先人が苦労の末,何年もかかって造り上げた土木遺産を汚す神経を疑う.
扁額.
見えにくいが達筆で「高研隧道」と揮毫してある.ハシゴと水とタワシを持ってきて綺麗にしてやりたくなった.
そして注目は,俵津隧道の記事でも言及したピラスター.
こちらもわかりにくいが,三鉾状の意匠である.ただし俵津隧道とは異なり,三つ鉾の部分が凹,股の部分が凸になっている.また,柱部分は切石積みで,俵津隧道よりも迫力がある.「日本の近代土木遺産」3 は,
ゴシック風のポータル(俵津隧道を簡易化したもの)
としている.高研隧道の設計者が俵津隧道に感化されたのだろうか?
洞内
さて,存分に坑門を眺めたところで,次の行動について考えた.こちらのバリケードは,車両はともかく人だけならば簡単に越えられる.装備の面では,探索用の靴を履いているし,スマホより遥かに強力なライトも用意している.そして,背後の道路を通る車は少ない.
………私が何をしたのかは,敢えて書かない.
坑口付近.
無数の錆びたボルトが見える.先に述べた後補の巻き立ての際のものであろう.コンクリートの剥離を防ぐためのものなのか,過去にライナープレートなどで補修していた跡なのか.いずれにしても,コンクリートの剥落は随所に見られる.こういった劣化が通行止めの理由であろう.
体感で30mほど進むと,コンクリート (あるいはモルタル) 吹き付けの区間となった.
素掘りというには壁面が整い過ぎているよなあ,と思いながら先に進む.
ちょうど隧道の中間あたりの,大きな剥落.
ブレブレの酷い写真で恐縮だが,剥落のおかげで吹き付けの裏側を目にすることができる.コンクリートブロック積みだろうか?
写真は撮らなかったが,反対側の坑口付近は,先ほど外から見えた通りライナープレートで巻き立てられていた.そこまで確認して車に戻った.
この後はまた同じ道を引き返して現道に復帰した.次の目的地は,愛媛からは少し外れて,高知県仁淀川町の大渡隧道である.向かう方角は東なので,また高研山トンネルを通過した.都合3回目となるが,延長1562m 7 はやはり長い.高研隧道の延長が258m 3 であるから,およそ6倍もの長さである.しかし高研山トンネルを含む道路改修によって,県境区間の国道の延長は9.3kmも短縮されたそうだ 7.さらに,高研峠を越える道路の標高が135mも低くなったことで,冬季の積雪・凍結による交通障害も随分減ったらしい 7.この国道を日常的に利用する地元の人々にとっては,古い時代の隧道と同じく,待望の改良であったことが想像に難くない.
参考文献
- はみ男 (2013) "高研隧道 当分の間、全面通行止 - はみ男の日記(仮)" 2021年5月2日閲覧.
- 鬼北町建設課 (2019) "通行制限 - 鬼北町ホームページ" 2021年5月2日閲覧.
- 土木学会土木史委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選" 土木学会.
- 久万高原町 (2018?) "四国カルストパノラママップ" 2021年5月2日閲覧.
- ひまわり乳業株式会社 (2016) "探検!タイムトンネル - 今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記" 2021年5月1日閲覧.
- 内務省土木試験所・編 (1941) "本邦道路隧道輯覧" p. 39, 内務省土木試験所,2021年5月2日閲覧.
- 建設省四国地方建設局大洲工事事務所・編 (1994) "大洲工事五十年史" 建設省四国地方建設局大洲工事事務所,2021年5月2日閲覧.