はじめに
名古屋から岐阜に向かう名鉄名古屋本線のいわば「最後の難所」たる木曽川に架せられた橋梁を訪ねた.
場所: [35.3671560, 136.7676341] (世界測地系).
木曽川橋梁は曲弦ワーレントラス桁7連を主体とした堂々たる鉄橋であり,名鉄線内最長の橋長481.76mを誇る 1.工事は昭和6年 (1931) 10月,鴻池組の請負で着手され,出水に苦しめられながらも昭和9年11月に竣工をみた 2.本橋の完成により,名古屋から一宮市の新一宮駅 (現在の名鉄一宮駅) まで開通していた既設線と,美濃電気軌道が建設した岐阜・笠松間の線路が接続され,名古屋・岐阜間を結ぶ「名岐鉄道」が全通した 2.
探訪
名古屋側
2022年10月8日,現地を訪ねた.まずは午前中に名古屋側を.名鉄の各駅停車を木曽川堤駅で下車すると,木曽川橋梁の立派な姿が目と鼻の先に見えている.
ホームから見る木曽川橋梁.
改札を出て接近.
名古屋鉄道名古屋本線 木曽川橋梁,昭和9年 (1934) 竣工 2,近代土木遺産Cランク 3.
名古屋側の第1連から見ていこう.
第1連は支間6.66mの上路プレートガーダー.
上下線それぞれに単線用の桁を用いている.
ディテール.支間の小ささゆえか桁厚は小さい.対傾構が「ハ」の字形なのが珍しいような?銘板は見つからなかった.
下流側.
続いて主役のトラスを見る.
支間67.1mの複線下路曲弦ワーレントラスが7本連なる.こちらにも銘板は見つからなかった.
特徴的な垂直型の橋門構.まさに「門」という感じがする.
このような橋門構は昭和初期の幹線道路の広幅員の橋によく採用されているが (大井川橋,揖斐大橋,北島橋,阿波中央橋ほか),鉄道用としては珍しい.土木学会による近代土木遺産調査 3 でも,
橋門構が垂直になった曲弦ワーレントラスの複線鉄道橋は稀(犬山橋と同じ)
と特記されている.類例の犬山橋 (現在の名鉄犬山線犬山橋梁) も名鉄の有名な鉄橋であり,名鉄独自の構造と言えるかもしれない.当初から複線 (+電化) で敷設された線ということで,広幅員の道路橋を参考にしたのだろうか.
なお,本橋が建設された当時は昭和恐慌の最中で,架橋コストを抑えるために単線で架設する案も出ていたという.しかし社内技術陣や運輸関係者の,苦しくとも資金を投じて複線にすることが会社の将来につながるという主張がみとめられ,当初から複線で架設することに決定している 2.
橋と木曽川堤駅の間には踏切があり,正面からの観察もしやすかった.
正面から見る木曽川橋梁の橋門構と内部の景.
斜材と鉛直材は重厚なダブルレーシング.
桁裏.
岐阜側
対岸の岐阜側は同日の午後に訪ねた.この日は昼頃から雲が広がっており,パッとしない写真ばかりになってしまったのが残念だ.
岐阜側からみる木曽川橋梁.こちらは橋端までトラスとなっている (隣接してIビーム桁が架かっているが「相生架道開渠」という別の橋の扱いだった).
近景.
ピン支承.
岐阜方を振り返る.強烈なカーブで橋に取り付いていることがわかる.無理のある線形に見える (実際列車はかなり速度を落として通過している) が,ここの川幅が狭いために経済的で,既設の美濃電気軌道 (のちに名岐鉄道と合併) 笠松駅への接続も良いために選ばれたという 2.
なお,当時笠松町からは700m下流に架設し,町西部を迂回するようにという強い意見が出され,名鉄 (当時は名岐鉄道会社) は免許取得の昭和2年 (1927) 4月から2年以上にわたって地元との交渉を強いられている 2.上の写真のカーブの付近に東笠松という駅が設けられた (平成17年 (2005) 廃止) のも地元への配慮かもしれない.
下に降りてみる.
桁裏.
下弦材の裏もダブルレーシング.
上流側に回ってみる.
上流側から見る木曽川橋梁.
ここに来て初めて気付いたのだが,コンクリート製の橋脚は下部に開口部が設けられている.
再び橋を潜って下流側に回る.
木曽川橋梁の開通により,昭和10年 (1935) 4月29日 (天長節) に名古屋 (押切町駅)・岐阜 (新岐阜駅) 間の直通運転が開始された 2.新型電車による特急も運行されるようになり,名鉄の社史 2 は同区間が国鉄東海道線で50分を要していたところ,この特急によって35分に短縮されたと誇らしげに記している.工事自体も名鉄がそれまでに行った工事のなかで最大規模のものであり 2,現代に至るまでの名鉄の発展の礎となった.