交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

(旧) 岩手県道1号盛岡横手線 山室橋 (2024. 2. 18.)

岩手県西和賀町.温泉街に残る歴史あるアーチ橋.

 

岩手県内陸部,奥羽山脈麓の和賀川に架かる橋.一帯は岩手湯本温泉となっており,温泉街をバイパスする県道の旧道上に位置する.

場所: [39.346450, 140.771320] (世界測地系).

 

湯本温泉の開湯は江戸時代まで遡るが,山室橋も同様で,創架は享保5年 (1720) とされる 1.もちろん当時は木橋であった.その後の経過ははっきりしないが,文政8年 (1825) に洪水による流失 2,慶応元年 (1865) に新設 1 の記録が残る.

 

現在の山室橋は大正14年 (1925) に架けられた.おそらく初めての永久橋で,当時の最先端技術であったRC開腹アーチ橋となった.設計は岩手県道路技師の本正信蔵 3.なお,大正期のRCアーチ橋としては国内3番目のスパンであったという 4

 

現在でこそ旧道となって注目もされていない山室橋であるが,戦前〜戦後早い時期の観光案内的な書物には,湯本温泉とともに山室橋の名がよく登場していた 5, 6, 7.「非常時岩手の展望」6 などは橋の写真を紹介しており,橋上からの景色だけでなく橋そのものの美しさにも注目されていたのではないかと思う.

 

2024年2月18日,現地を訪ねた.

温泉街から歩くこと数分,急坂の下に橋が見えた.あれが山室橋である.

 

高欄が現代的なものに交換されているため,橋上の状況からは古さを感じにくい.

 

親柱は撤去されている.代わりに高欄に橋名のプレートが貼ってある.

 

左岸からの景.木に遮られて見にくいが,確かにアーチである!

 

右岸から.

 

この大きなアーチはぜひとも真横から眺めてみたい.しかし橋の両岸は切り立った崖で,とても下りられそうにない.

 

どうしたものかと考えていたが,よく見ると川の下流側に陸地がある.あそこまでたどり着けばサイドビューが拝めるのではないか.

 

下りられるところを探して温泉街を右往左往したが,何のことはない,足湯の脇に親水目的の階段があった.ただし除雪されていなかった.当たり前である.こんな真冬に川遊びをする人間はいないだろう.仕方がないので慎重に下る.幸い,長靴で十分対応できる積雪であった.

 

果たして,望み通りの景観がそこにあった.

山室橋,大正14年 (1925) 竣工,近代土木遺産Bランク 4.均整の取れたアーチと直線の柱の調和が美しい.白塗りであるのも良い.

 

わかりにくいが側径間は充腹アーチとなっている.短スパンでもただの桁橋としなかったところに美意識があふれている.

 

水深が浅かったのでもう少しだけ接近.

残念ながらこれ以上は長靴でも接近できなかったが,大満足で車に戻った.探訪は以上.

参考文献

  1. 土木学会附属土木図書館・編 (2008) "橋梁史年表" 2025年8月21日閲覧.
  2. 東北地方建設局岩手工事事務所・編 (1979) "北上川" 第7輯,pp. 235-236,東北地方建設局岩手工事事務所.
  3. 岩手県名士肖像録刊行会・編 (1930) "岩手県名士肖像録 : 御大典記念" p. 154,岩手県名士肖像録刊行会.
  4. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 38-39,土木学会.
  5. 大日本雄弁講談社・編 (1930) "日本温泉案内" 東部篇,pp. 479-481,大日本雄弁講談社
  6. 岩手タイムス・編 (1938) "非常時岩手の展望" p. 35,岩手タイムス.
  7. 運輸省観光部・編 (1950) "温泉案内" pp. 291-292,毎日新聞