交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

(旧) 熊本県道10号南関大牟田北線 松風隧道 (2024. 8. 7.)

熊本県南関町.石ポータルを有する素掘り隧道.

 

豊前街道の宿場町として栄えた南関町の北部に位置する隧道である.かつて築かれた鷹ノ原城 (南関城) のある山を貫いている.

場所: [33.063484878403955, 130.53966617801018] (世界測地系)

 

松風隧道について,角川日本地名大辞典 1 には

大正13年県道南関田隈線にトンネルが通り松風洞と称され,現大牟田市四ケとの交流が容易になった。

と記されている.南関田隈線はいまの熊本県道10号南関大牟田北線である.ただし現在の南関大牟田北線は山の東側を迂回する新道を通っており,松風隧道は旧道となっている.

 

2024年8月7日,仕事で熊本に出張した際の空き時間に現地を訪ねた.熊本市街でカーシェアの車を借り,1時間ほど北上して隧道北口に到着した.

北側から見る松風隧道.隧道によってこの山の高さだけ登らなくてよくなったのだ.

 

松風隧道,大正13年 (1924) 竣工.こちら側は植物のせいで見にくいが,切石平行積みのポータルを有する.

 

扁額も読み取りづらいが「松風隧道」か?その左に揮毫者の署名か何かがあるが判読できない.

 

内部.坑口付近のみPCLで補強されている.おそらく当初は石アーチだったと思うのだが,それが見えないのは残念.

 

その先は素掘りにコンクリ吹付け.

 

再びPCL補強.南側は少し補強区間が長いようで,このまま坑口まで続いている.

 

脱出.

松風隧道南口.こちらはポータルが明瞭である.

 

石積みが美しい.

 

扁額には「松風洞」.松風洞と言えば京都の老の坂隧道が思い浮かぶが無関係である.松風隧道の由来は,かつて町内にあった松風の関に由来すると思われる.

 

扁額の左端に落款印のようなものが見えるが判読できない.

 

 

隧道南口を出て右手の斜面に石碑が立っている.

  請負人 山本彌総次

      仝 茂藏

設計監督者 浜北半兵衛

  石 工 村上久𠮷

請負人として挙げられている山本茂蔵については古い官報に名前が載っていた.大牟田の土木業者のようである.設計監督の浜北半兵衛は,大正15年 (1926) 時点の内閣印刷局による職員録に,熊本県土木工手として名前が挙がっている.

 

参考文献

  1. 角川日本地名大辞典」編纂委員会・編 (1987) "角川日本地名大辞典" 43 (熊本県),pp. 644-645,角川書店