岡山市東区,旧西大寺市域.架設から1世紀を経た現役車道の石橋.
昭和44年 (1969) に岡山市に編入された旧西大寺市は,その名の通り真言宗別格本山・西大寺の門前町として発展した.
岡山市街から西大寺を訪れるには,JR赤穂線に乗ればよいが,同線が開業したのは昭和37年 (1962) と比較的最近のことである.それ以前には,西大寺鉄道という軽便鉄道が,岡山 (後楽園) と西大寺を直接結んでいた.
千年橋は,西大寺鉄道の終着駅・西大寺町駅 (のちの西大寺市駅) から西大寺仁王門に通じる参道が,鴨越用水 (西川) を渡る橋である 1.
2021年9月21日の夕方,JR西大寺駅から徒歩で訪ねた.大通りの県道37号を700mほど南下し,西川を越える手前で右に曲がる.西川の右岸沿いにさらに150mほど歩くと,道は西大寺へ向けて,東に進路を転じる.千年橋は,そのカーブの途中に架かっている.
千年橋,大正6年 (1917) 竣工.木造家屋の連なる古い町並みの中に,端正な石橋が溶け込んでいる.
上流側.丁寧に仕上げられた石桁が,無橋脚で水路を渡る.
高欄も石造り.欠円アーチ型の窓を連ねている.硬い石をよくこれほど綺麗に削るものだと思う.
右岸上流の親柱.変体仮名で「ちとせはし」と刻む.
右岸下流の親柱.こちらも「ちとせはし」だが,路面側の面には「大正六年一月架」の文字.
左岸の親柱には「千年橋」.
下流側.こちらは高欄が5パネルで,上流側より1パネル分短い.「岡山県の近代化遺産」1 には,下流右岸側 (写真の向かって左側) に歩道を整備した際に,高欄が1パネル分短縮されたと記してある.また,上流側では露出していた橋桁が,外側に張り出している床板の奥に隠れてしまって視認できない.歩道整備の時に路盤も少し広げてあるのかもしれない.
左岸側からの振返り.カーブの途中とはいえ,石橋としてはびっくりするほど幅が広い.
千年橋は開通から1世紀以上を経て現存し,現役車道として自動車の通行にも耐えている.また,西川には他にも新旧多数の橋が架かるが,多くは平成6年 (1994) 頃に集中して改築され,多かれ少なかれ当初の雰囲気を失っている.したがって,千年橋は開通当初の姿を留める貴重な橋ともなっている.
「千年橋」という名称は「千年保つように」という願いから付けられたと伝わる.千年はともかく,少なくとも百年は元気で過ごしており,これからも良い齢を重ねてほしいと思う.
おまけ
近くで見つけた毛むくじゃらのにゃんこ.