交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

端建蔵橋 (2022. 9. 25.)

大阪市中之島の西端.架換え工事の始まった大正期の鋼橋.

 

導入

大阪市中心部を東西に流れる土佐堀川が,堂島川と合流する付近に架かる端建蔵 (はたてくら) 橋大阪市中央卸売市場本場や阪神高速中之島西料金所のすぐ近くにあり,交通の要衝となっている.

橋名の端建蔵というのは付近の古い字で,江戸時代に蔵屋敷が建ち並んでいたことに由来するそうだ 1.ただし橋が架けられたのは近代になってからで,橋梁史年表によると創架は明治11年 (1878) 11月,延長94.5m,幅員5.5mの木橋だったものの,明治18年の大洪水で流失している.翌年5月に木橋として復旧されたのち,明治42年には市電の開業に合わせ幅員15.2mの鋼プレートガーダー (PG) 橋に架け換えられている 1, 2

 

現在の端建蔵橋は大正10年 (1921) 6月に架け換えられた鋼PG橋 2.道路と市電の両方を載せる幅員19mの大きな橋である.開通後は100年以上にわたり,大都市大阪の交通を支え続けた.もちろんその間,幾度もの補修が重ねられてきている.その最たるものは昭和38年 (1963) に行われた工事である.端建蔵橋周辺の地質は粘土層で地盤沈下が激しく,高潮時に橋が浸水する危険があったため,昭和36年 (1961) から橋脚を嵩上げする工事が進められた 3.ちなみに本橋のすぐ北に隣接する船津橋も大正期の鈑桁橋だったのだが,こちらは橋自体の強度に問題があると判断され,同時期に新しい橋に架け換えられている 3

 

端建蔵橋は,大都市に現存する大正期の道路用PG橋という希少性から,土木学会の「日本の近代土木遺産4 にも「歴史的鋼橋集覧」5 にも掲載されており,私もこの趣味を始めた初期から行ってみたいとは思っていた.しかし自宅から近い大阪市の橋で,いつでも行けると思っているとなかなか足が向かない.そうこうしているうちに,なんと端建蔵橋が架換えられるというニュースが飛び込んできてしまった.

news.yahoo.co.jp

大阪市は30日、大阪市北区と西区を結ぶ端建蔵橋(はたてくらばし)の架け替え工事のため9月16日から2025年3月31日まで通行止めを行うと発表した。

…(中略)…

この工事で今年の9月16日から2025年(令和7年)3月31日までの間、端建蔵橋の通行止めを行う。

結局訪ねることができたのは,架換えのための撤去工事が始まった後だった.やはり先延ばしはよくない.

探訪

令和4年 (2022) 9月25日,通行止となって9日目の端建蔵橋を訪ねた.大阪シティバスの「土佐堀三丁目」から西に歩き,巨大な鋼アーチ橋である昭和橋を渡った先が端建蔵橋の南詰である.

上流側からの景.管路の橋が併設されているせいで見えづらい.右端に写っているのは阪神高速のランプウェイの橋.

 

端建蔵橋南詰.事前情報通り既に通行止となっている.さすがにまだ撤去は進んでいない.

 

バリケード越しに橋上を見る.市電と道路の両方を載せていただけあって,当時としては異例なほどに幅員が大きい.橋上には工事車両が何台か停まっているが,休工日らしく無人だったので安心した.もちろんそれを見越して日曜日に来たわけだが.

 

バリケードは簡易なものなので跨ぐこともできたが,それはせずにいったん迂回.下流側に回り,安治川沿いの倉庫街の裏手の道 (公道のはず) に入った.

下流側もコンクリートの護岸となっていて視点場に乏しい.護岸から身を乗り出すようにして望遠すると,スカイブルーで塗られた鈑桁と船舶に向けての「端建蔵橋」の文字が見えた.

 

護岸にへばりつくようにして接近を試みる.陸地がないので橋の下に立つことはできず,真横から桁を見ようにも歩道が張り出しているために見えにくい.

端建蔵橋,大正10年 (1921) 竣工,近代土木遺産Bランク.

 

望遠で無理やり見た桁の近景.当然リベット打ちである.銘板は見つからなかった.

 

嵩上げの痕跡は凄まじい.古びた橋脚の上に支承を介して鋼製の横桁が載り,その上にさらに支承を挟んで桁が載っている.今後発生する地盤沈下の影響も支承で吸収しようとしているということか.

 

大正10年当時は最先端であったはずのコンクリート製橋脚.隅は石張りで曲面加工されているのが美しい.

 

時系列は前後するが,橋脚の上流側.こちらも石張りだが,下流側と違って角型となっている.普通は逆で,増水時に流木等が引っかからないように上流側を弧状あるいは尖塔状に加工することが多いが……大阪湾に近いので高潮対策かもしれない.

 

酷い写真で恐縮だが,橋脚には開口部が連ねてある.大小の輪石を並べたアーチ環が洒落ている.

 

親柱をチェックするために橋上へ.橋の南詰には交差点があり,いま私のいる左岸道路から直接橋に入れるようになっていた.そこにも申し訳程度にA型バリケードが置いてあったような気もしないではないが,少しだけ失礼させていただいた.

親柱には「はたてくらばし」「端建蔵橋」.後ほど見た右岸側の親柱も同じ組合せだった.見ての通り大正10年当初のものではない.昭和38年の工事で拡幅も行われたようだから,その際に設置されたのかもしれない.

 

左岸側の観察は以上で切り上げた.そのまま橋を渡ることもできそうではあったが,一応通行止だからやめておき,昭和橋→湊橋と歩いて対岸へ.端建蔵橋の北詰は阪神高速のランプウェイの入口と並んでいるのだが,その脇にひっそりと石碑が立っているのに気が付いた.

「共同荷場」とある.いつの建立かは記されていなかったと思う.そういえばここは大阪市中央卸売市場本場の目の前,戦前から物流の拠点だった.

 

というわけで,端建蔵橋北詰.もちろんこちらにもバリケードがあった.

 

右岸側から見る端建蔵橋.これ以上は接近できなかった.

おわりに

大正10年 (1921) の架設から1世紀にわたって活躍した端建蔵橋を訪ねた.探訪時点で架換え工事は始まっていたが,橋が現役当初と変わらない姿を見せている内に訪ねることができたのはよかったと思う.

 

本記事の執筆時点では,架換えに向けた解体・撤去工事が進んでいるようだ.

例えばこのツイートでは,舗装が剥がされ一部径間の桁が撤去された端建蔵橋の写真を見ることができる.

 

また,昨年11月には舗装の下から市電のレールが発掘されたようだ.知っていれば見に行きたかった…

togetter.com

 

大阪市のWebサイト 6 によると,新しい端建蔵橋は1スパンで一気に渡る下路アーチ橋となるようだ.最近よく見るニールセンローゼ橋とかだろうか.いずれにしても,旧橋の姿を偲ぶことのできるモニュメントか何か設置されるといいなと思う.

参考文献

  1. 大阪市 (2016) "大阪市:端建蔵橋(はたてくらばし)" 2023年2月1日閲覧. 
  2. 土木学会附属土木図書館・編 (2008) "橋梁史年表" 2023年2月1日閲覧.
  3. 近藤和夫,井上洋里,宮崎信明 (1963) "船津橋並びに端建蔵橋の工事報告" 道路 : road engineering & management review,Vol. 271,pp. 746-755,日本道路協会.
  4. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 184-185,土木学会.
  5. 土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会・編 (1995) "歴史的鋼橋集覧" G1-015,2023年2月1日閲覧.
  6. 大阪市 (2022) "大阪市:端建蔵橋通行止めのお知らせについて" 2023年2月1日閲覧.