交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

和歌山市 明光通りの和歌浦橋と中橋 (2021. 9. 5.)

和歌山市の誇る景勝地和歌浦に通じる明光通りの戦前橋を訪ねた.

 

寄合橋を後にして,駅前から南海バスに乗り込み,「和歌浦口」バス停に降り立った.以前和歌の浦隧道を訪ねたとき,バスから見えた橋をチェックすることが目的であった.

和歌浦

和歌浦口というバス停は,その名の通り和歌山市の誇る景勝地和歌浦への入口である.ここではメインストリートである国道42号から,和歌浦方面への道が2本分岐する.そのうち1本は所謂海岸通りで,かつて路面電車も走っていた広い道路である.もう1本が明光通りで,こちらは狭い生活道路といった様相だが,国登録有形文化財和田家住宅 (明治36年) や梅本家住宅 (大正2年) が連なる歴史ある道である.ちなみに明光通りの名は,聖武天皇命名したとされる和歌浦の古名「明光浦」に由来するようだ.

 

さて,そんな明光通りに入ってすぐのところに,気になっていた橋が架かっている.場所は [34.19415992315077, 135.17045791501093].

 

国道側からの景.

私の大好きな,昭和初期らしい背の低いRC高欄.1ヶ月前,バスの中から目ざとくこれを見つけたことが,今回の探訪のきっかけとなったのだ.

 

向かって右 (上流) の親柱で橋名を知る.

和歌浦.ここから海は見えないが,字は既に和歌浦となっているから,妥当なネーミングである.と同時に,この先に景勝地和歌浦が待っていることを旅人に予感させる,素敵な橋名でもある.

 

和歌浦橋」の親柱の手前には大正期の道標が残る.解説板も設置されている.

 

左側 (下流) の親柱には「和田川」.

 

渡る前に,横からの観察.

予想していた通り単径間のRC桁橋である.高欄のアーチ型の窓を連ねた意匠は昭和初期の典型的なものだが,アーチの間をリブ材が区切っているのが独特だ.

 

さて渡ろう.延長9mの短い橋だから,数秒歩けばもう対岸である.

右岸から見る和歌浦橋.

 

素晴らしいことに,こちらも親柱が現存した.

上流側の親柱には「昭和七年十一月架換」の銘板.やはり昭和初期である.そして「架換」である.おそらくその前は木橋だったのであろう.例の道標に従って道を確認し,木橋時代の和歌浦橋を渡った旅人もいただろう.

 

下流側の親柱には「わかうらはし」.

 

それにしても,よくぞ親柱の銘板が残っていてくれたものだと思う.戦前の橋の銘板の多くは,戦時中に金属資源として回収・供出され,失われている.本橋のような市街地,しかも陸軍の師団が駐留していた和歌浦の地で,4枚の銘板が全て残っているのは稀有な例と思う.

 

最後に下流側からの景.

小さな小さな橋だが,御年90歳の古老で,当時の姿を留めたまま現役を貫く,貴重な土木遺産である.

中橋

和歌浦橋の訪問にあたって地図を見てみると,同じ明光通り上の100mほど先に,もうひとつ橋が架かっている.ストリートビューを見るとこちらも古そうだ.というわけで向かってみた.場所は [34.19336356493305, 135.170100874754].

 

和歌浦橋を後にして明光通りを進むと,ほどなく到達した.ただし非常にささやかな橋なので,気を付けていないと通り過ぎたかもしれない.橋長は4mほどしかなく,高欄の高さも数十cmほどしかない.

 

まずは親柱.

右側の親柱には「中橋」の青銅製銘板.このあたりの大字である「和歌浦中」に由来するのだろうか.

 

左側には「昭和十一年七月架換」と2列で刻んだ銘板.和歌浦橋と同じく戦前の橋で,おそらく木橋からの架換えであろう.この銘板は見ての通りほとんど外れかけなので,5年後にはもう失われているかもしれぬ.

 

渡って対岸から見る橋上の景.和歌浦橋の保存状況を見た後だと,高欄はずいぶんやつれた印象だ.もともと質の良くないコンクリートを使っていたのかもしれない.

 

右岸下流側の親柱には「なかばし」の銘板.一方の右岸上流側の親柱の銘板は,2枚上の写真左下のように失われている.おそらく河川名を刻んでいたのであろう.

 

さて,横からの観察だ.

上流側からの景.構造はRCの床板桁橋 (と思われる).高欄には3つの欠円アーチ形の窓を連ねる.ささやかながら程よい装飾性.しかし残念なことに,表面のコンクリートはあちこちで剥がれ,アーチが歪な形状となってしまっているほか,鉄筋も露出している.

 

反対側からの観察には水路の中に降りる必要がある.しかし今日はストリートビューで予想していたよりも水路の水位が高く,足の踏み場が見当たらない.今日は普通靴で,足を濡らしたくはなかったので,結局下流からの観察は諦めた.

 

最後に上流側の少し離れた場所からの景.

現地探訪は以上.鹿瀬洞に続く.