交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

神龍湖の桜橋と探勝歩道の隧道群 (2021. 6. 23.)

神龍橋から続く.中国山地景勝地神龍湖の探勝歩道の交通遺産群をレポートする.

目次

(仮) 探勝歩道5号隧道

神龍橋の探索を終えた私は,その西詰から南西方向に探勝歩道を歩いて県道に戻ることにした.車を停めた三坂駐車場とは反対の方向だが,来た道を戻るのも芸がないし,何よりこの先の桜橋も気になっていた.

 

神龍橋を後にすると,程なくして,

ロックシェッドに隠れているが,その先は岩をくり抜いた隧道である!探勝歩道に隧道があるとは思っていなかったので驚いた.

 

さらに嬉しいことに,隧道はこの1本だけではなかった.なんとこの隧道は,探勝歩道の入口 (土産物店やトレイルセンターのある駐車場) から数えて5本目の隧道だった.そのためここでは (仮) 探勝歩道5号隧道としておく.これ以降の各隧道も同様に命名している.

 

内部.

素掘りである.

 

南側.

こちらもロックシェッドが接続されている.坑口が露出していないのは残念ではあるが,ここを通るのはほとんど歩行者だから,小さな落石も起こさないよう厳重にしているのかもしれない.

(仮) 探勝歩道4号隧道

この写真でも写っているが,(仮) 探勝歩道5号隧道のすぐ先には,次の隧道が口を開けていた.

こちらの坑口手前のロックシェッドは屋根が丸い.

 

内部.

ここも素掘りである.

 

南側.

こちらは直線屋根のロックシェッドが接続されている.

(仮) 探勝歩道3号隧道

次の隧道は,

コンクリートによる坑門と巻き立てがあった.

 

この坑口の形状は重要かもしれない.垂直な側壁に欠円アーチという形状は,次回以降に登場する,帝釈川発電所の竣工と同時期の大正13年 (1924年) 頃に造られた旧々県道の隧道と酷似している.それより後の世代の隧道の坑口は異なる形状をしていることから,この探勝歩道の隧道群が造られたのも,やはり大正13年 (1924年) 頃の可能性がある.

 

内部.

右カーブの先で巻き立ては途切れ,素掘りとなる.暗い場所ゆえに酷い写真であることはご容赦願いたい.

 

西側.

こちらも坑口が露出しているが,巻き立てはなく素掘りに吹き付けとなっている.

(仮) 探勝歩道2号隧道

次の隧道も,嬉しいことに坑口が露出していた.

モルタルが吹き付けられてはいるが,いかにも堅そうな岩盤である.それだけに安定しており,ロックシェッドも不要とされているのだろう.

 

坑口の右手側には,

岩盤に穿った穴の中に,何らかの像が安置されていた.仏像だったか聖母像だったかすっかり忘れてしまったが,旅の安全を祈って手を合わせておいたことだけは覚えている.

 

隧道内部.

素掘りに吹き付け.

 

西側.

こちら側はロックシェッドが接続されていた.その中には,

このような地質に関する解説板が立てられていた.

桜橋

(仮) 探勝歩道2号隧道からしばらく進むと,

巨大な赤い鋼橋が見えてきた.桜橋である.

 

接近して.

桜橋,昭和11年 (1936年) 竣工,近代土木遺産Cランク 1,国登録有形文化財 2.巨大な2ヒンジアーチで床版を吊り上げる中路式アーチ橋である.

 

こちら側 (東側) には,手の届く場所に銘板が残っていた.

「大阪 松尾鐵骨橋梁株式會社 昭和拾壹年七月竣工」と読める.

 

東側の親柱.

「さくらはし」「昭和十一年七月竣工」.

 

さて,渡ろう.

アーチ部材は2本あり,その間はプラットトラスとなっている.こういった構造はブレーストリブアーチと呼ばれるそうだ.びっしりと打たれたリベットも含めて,2重の鋼材が重々しいが,アーチ曲線は優美な印象で,バランスが取れている.

 

中間地点からの眺め.

2枚目に写っている橋は県道の (現) 紅葉橋.神龍橋に引導を渡した存在である.

 

渡り切って,西側から.

行き掛けの駄賃のつもりで訪れた橋だったが,予想以上に美しい橋だった.

 

最後に,(現) 紅葉橋 (この写真) から見た桜橋の遠景.

離れたところからでも2重のアーチがはっきりとわかる.

(仮) 探勝歩道1号隧道

桜橋の西側はすぐまた隧道となっていた.

両脇に写っているのは桜橋の高欄と親柱である.ロックシェッドで隠れているが,手前側はコンクリートで巻き立てられており,

その奥は素掘りだった.

素掘りは中間部分のみで,奥側 (西側) はまたコンクリート覆工だった.

 

西側に抜けて,振り返る.

こちらもロックシェッドが接続されているものの,垂直の側壁+欠円アーチの坑門を有していた.

 

また,ここでもうひとつ見つけたものがある.

重量制限10tの標識.隧道を抜けた先の桜橋のためのものであろうが,この標識があるということは,この探勝歩道は単なる遊歩道ではなく,車道としての利用も想定されていたようだ.考えてみれば,単なる遊歩道であれば多数の隧道を掘る必要はなく,桟橋を架けるなりした方が安上がりである.

 

おそらくここまでの探勝歩道は,もともと帝釈川発電所保有する中国電力 (当時は両備水電?) が,管理道として建設した車道だったのだろう.(仮) 探勝歩道3号隧道の節で述べたように,この道は大正13年 (1924年) 頃に造られた可能性がある.ただし桜橋だけは昭和11年と新しいのは謎である.知られていないだけで先代の橋があったのかもしれないし,あるいは隧道坑口の形状は単なる偶然で,道自体が造られたのが昭和11年頃だったのかもしれない.いずれにしてもこの道に,かつて (あるいは今も) 自動車を通していた時期があったことは間違いない.そういえば「日本の近代土木遺産1 は,桜橋について「夏は橋上がビアガーデン化」としている.近年の状況は定かではないが,ビアガーデンのための資材を運ぶ車や,ひょっとするとキッチンカーなどもこの道を通ったのかもしれない.

 

神龍橋のおまけのつもりで歩いた神龍湖の探勝歩道だったが,予想外にたくさんの隧道,そして美しい桜橋と,見どころに富む「車道」だった.既に満腹のような気もするが,実は今回の旅のメインはここからである.

 

次回,県道25号旧道探索編に続く.

参考文献

  1. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 220-221,土木学会.
  2. 文化庁 (2011) "桜橋 - 国指定文化財等データベース" 2021年8月14日閲覧.