神龍橋から続く.中国山地の景勝地,神龍湖の探勝歩道の交通遺産群をレポートする.
目次
(仮) 探勝歩道5号隧道
神龍橋の探索を終えた私は,その西詰から南西方向に探勝歩道を歩いて県道に戻ることにした.車を停めた三坂駐車場とは反対の方向だが,来た道を戻るのも芸がないし,何よりこの先の桜橋も気になっていた.
神龍橋を後にすると,程なくして,
ロックシェッドに隠れているが,その先は岩をくり抜いた隧道である!探勝歩道に隧道があるとは思っていなかったので驚いた.
さらに嬉しいことに,隧道はこの1本だけではなかった.なんとこの隧道は,探勝歩道の入口 (土産物店やトレイルセンターのある駐車場) から数えて5本目の隧道だった.そのためここでは (仮) 探勝歩道5号隧道としておく.これ以降の各隧道も同様に命名している.
内部.
素掘りである.
南側.
こちらもロックシェッドが接続されている.坑口が露出していないのは残念ではあるが,ここを通るのはほとんど歩行者だから,小さな落石も起こさないよう厳重にしているのかもしれない.
(仮) 探勝歩道4号隧道
この写真でも写っているが,(仮) 探勝歩道5号隧道のすぐ先には,次の隧道が口を開けていた.
こちらの坑口手前のロックシェッドは屋根が丸い.
内部.
ここも素掘りである.
南側.
こちらは直線屋根のロックシェッドが接続されている.
(仮) 探勝歩道3号隧道
次の隧道は,
コンクリートによる坑門と巻き立てがあった.
この坑口の形状は重要かもしれない.垂直な側壁に欠円アーチという形状は,次回以降に登場する,帝釈川発電所の竣工と同時期の大正13年 (1924年) 頃に造られた旧々県道の隧道と酷似している.それより後の世代の隧道の坑口は異なる形状をしていることから,この探勝歩道の隧道群が造られたのも,やはり大正13年 (1924年) 頃の可能性がある.
内部.
右カーブの先で巻き立ては途切れ,素掘りとなる.暗い場所ゆえに酷い写真であることはご容赦願いたい.
西側.
こちらも坑口が露出しているが,巻き立てはなく素掘りに吹き付けとなっている.
(仮) 探勝歩道2号隧道
次の隧道も,嬉しいことに坑口が露出していた.
モルタルが吹き付けられてはいるが,いかにも堅そうな岩盤である.それだけに安定しており,ロックシェッドも不要とされているのだろう.
坑口の右手側には,
岩盤に穿った穴の中に,何らかの像が安置されていた.仏像だったか聖母像だったかすっかり忘れてしまったが,旅の安全を祈って手を合わせておいたことだけは覚えている.
隧道内部.
素掘りに吹き付け.
西側.
こちら側はロックシェッドが接続されていた.その中には,
このような地質に関する解説板が立てられていた.
桜橋
(仮) 探勝歩道2号隧道からしばらく進むと,
巨大な赤い鋼橋が見えてきた.桜橋である.
接近して.
桜橋,昭和11年 (1936年) 竣工,近代土木遺産Cランク 1,国登録有形文化財 2.巨大な2ヒンジアーチで床版を吊り上げる中路式アーチ橋である.
こちら側 (東側) には,手の届く場所に銘板が残っていた.
「大阪 松尾鐵骨橋梁株式會社 昭和拾壹年七月竣工」と読める.
東側の親柱.
「さくらはし」「昭和十一年七月竣工」.
さて,渡ろう.
アーチ部材は2本あり,その間はプラットトラスとなっている.こういった構造はブレーストリブアーチと呼ばれるそうだ.びっしりと打たれたリベットも含めて,2重の鋼材が重々しいが,アーチ曲線は優美な印象で,バランスが取れている.
中間地点からの眺め.
2枚目に写っている橋は県道の (現) 紅葉橋.神龍橋に引導を渡した存在である.
渡り切って,西側から.
行き掛けの駄賃のつもりで訪れた橋だったが,予想以上に美しい橋だった.
最後に,(現) 紅葉橋 (この写真) から見た桜橋の遠景.
離れたところからでも2重のアーチがはっきりとわかる.
(仮) 探勝歩道1号隧道
桜橋の西側はすぐまた隧道となっていた.
両脇に写っているのは桜橋の高欄と親柱である.ロックシェッドで隠れているが,手前側はコンクリートで巻き立てられており,
その奥は素掘りだった.
素掘りは中間部分のみで,奥側 (西側) はまたコンクリート覆工だった.
西側に抜けて,振り返る.
こちらもロックシェッドが接続されているものの,垂直の側壁+欠円アーチの坑門を有していた.
また,ここでもうひとつ見つけたものがある.
重量制限10tの標識.隧道を抜けた先の桜橋のためのものであろうが,この標識があるということは,この探勝歩道は単なる遊歩道ではなく,車道としての利用も想定されていたようだ.考えてみれば,単なる遊歩道であれば多数の隧道を掘る必要はなく,桟橋を架けるなりした方が安上がりである.
おそらくここまでの探勝歩道は,もともと帝釈川発電所を保有する中国電力 (当時は両備水電?) が,管理道として建設した車道だったのだろう.(仮) 探勝歩道3号隧道の節で述べたように,この道は大正13年 (1924年) 頃に造られた可能性がある.ただし桜橋だけは昭和11年と新しいのは謎である.知られていないだけで先代の橋があったのかもしれないし,あるいは隧道坑口の形状は単なる偶然で,道自体が造られたのが昭和11年頃だったのかもしれない.いずれにしてもこの道に,かつて (あるいは今も) 自動車を通していた時期があったことは間違いない.そういえば「日本の近代土木遺産」1 は,桜橋について「夏は橋上がビアガーデン化」としている.近年の状況は定かではないが,ビアガーデンのための資材を運ぶ車や,ひょっとするとキッチンカーなどもこの道を通ったのかもしれない.
神龍橋のおまけのつもりで歩いた神龍湖の探勝歩道だったが,予想外にたくさんの隧道,そして美しい桜橋と,見どころに富む「車道」だった.既に満腹のような気もするが,実は今回の旅のメインはここからである.
次回,県道25号旧道探索編に続く.
参考文献
- 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 220-221,土木学会.
- 文化庁 (2011) "桜橋 - 国指定文化財等データベース" 2021年8月14日閲覧.