交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

林田隧道 (2021. 5. 8.)

兵庫県猪名川町.昔ながらの風景の残る里山に,ひっそりと佇む古い隧道を訪ねた.

 

猪名川という町は,関西でも知名度が低いと思う.なにしろ,その名前を冠した駅やインターチェンジが存在しないからだ.しかし,阪急電車のユーザー,特に宝塚本線ユーザーは「日生中央」という駅名を聞いたことがあるかもしれない.日生,つまり日本生命保険によって開発されたニュータウンの玄関口たるその駅は,猪名川町唯一の鉄道駅であり,朝晩には大阪梅田までを約40分で結ぶ直通列車も運行されている.

 

そんな日生中央駅から,阪急バスに乗り込んだ.駅の周辺はベッドタウンらしく,商業施設や大型家電量販店があって賑やかだったが,猪名川沿いの道路に出ると,田畑の中に小さな集落がある昔ながらの風景となった.

 

バスに揺られること約15分,「木津上」バス停で降車した.土地勘のない物件を公共交通で訪れる際には,「どこのバス停が近いのか」「どのバスに乗ればいいのか」等を調べるのに苦労する場合がある.しかし今回は,親切にも猪名川町の公式サイト 1 に,「木津上」で降りて徒歩5分と書いてあったのでそれを信用し,ほとんど調べずにこの地にやってきたのだった.バスの本数は1時間〜1時間半に1本ほどと少ないが,ちょうど45分後に帰りの便がある.片道5分なら,往復と探索を合わせても45分あれば余裕だろうと思っていた.

 

バス停から,雰囲気のある神社に寄り道したり (おまけで写真を掲載する) しながら歩くこと10分.寄り道の時間はごくわずかだったから,徒歩5分ならそろそろ到着する頃合いである.しかし,私を待っていたのはこのような看板だった.

トンネルはこの先700mだという.時速4kmで計算しても10分はかかる距離である.この先が上り坂であることを考慮すると,バス停から20分くらいはかかるのではないだろうか.道を見落としたわけでもないと思うが,猪名川町の担当者氏は何を根拠に徒歩5分と書いたのか.謎である.

 

件の記述はあったとしても,私の事前調査が不足していたことは言うまでもない.帰りのバスには間に合わないかもしれないが,ここで引き返す気にはなれないので,そのまま進む.すぐに道は1.5車線未満の幅員となり,ヘアピンカーブで高度を上げていく.交通量は少なく,一度だけ地元住民と思しき軽自動車が通過した後は,ついぞこの道で自動車を見ることはなかった.

 

先の看板を出てから歩くこと10分,だんだん疲れが溜まってきた.たかが徒歩10分で大げさな,と思われるかもしれない.確かに私には体力がないが,平坦な街中を歩くのと,蒸し暑いなか鬱蒼とした山道を登るのでは随分違う.しかしここで,バス停を出てから初めて人とすれ違う.ハイキング中らしい2人組の女性が,山の上から歩いて降りてきたのだ.「どこに行くの」と聞かれたので「トンネルを見に行くんです」と答える.不審な回答だったかなと思ったが,納得してもらえたようだ.それだけ見事な隧道ということだろう.その人たちもトンネルを通って来たというので,「トンネルはもうすぐですかね?」と尋ねると「すぐそこ」との答えだった.にわかに気力を取り戻し,前進を再開した.

 

そこから3分ほどで,目指す隧道の東側坑門に至った.

この写真を見て拍子抜けした方もいるかもしれない.もちろんこの姿は当初のものではなく,後年に改修されたものである.

 

高さ制限のバーには「ぶらさげ禁止」「ぶらさがり禁止」の追加の掲示があるが,そこにも何かがぶら下げられてしまったようで,無惨に曲がっている.何をぶら下げたのか現地ではわからなかったが,後から調べてみるとこの峠道はサイクリストにも人気なようで,バーに自転車を引っかけて記念撮影する者がいるようだ (敢えて公表はしないが,そういった写真を載せているサイトが存在する).ボックスカルバート部分の醜い落書きも含めて残念だ.経年劣化なら味があるが,人為的な破壊は嘆かわしい.

 

ともかく,隧道内に入る.ボックスカルバートの区間は数メートルで終わり,すぐに美しい石アーチが現れた.

短い区間だが素晴らしい.このアーチ部分が改修前の坑門だったのだろう.その先はコンクリートで巻き立てられているが,わざわざそういう補強をしているということは,元は素掘りだったのかもしれない.崩れやすい坑門付近だけ石や煉瓦で巻き立てるというのは,古い時代の隧道ではよく見られることだ.

 

面白いのはこの先の線形である.隧道内で不自然なほどうねうねと蛇行している上,妙な勾配もある.おそらく,両側から掘り進めた際,測量ミスか施工ミスによってズレが生じ,無理やり帳尻を合わせたのだと思われる.当時の関係者としては恥ずかしい失敗だったかもしれないが,いかにも古い時代らしい素朴さが感じられ,私にとってはまことに好ましい.

 

蛇行しながら先に進む.照明があるおかげで,鞄から懐中電灯を取り出す必要すらなかった.隧道から脱出し,西側坑門を振り返る.

林田隧道 2,別名・津坂隧道,通称・くろまんぷ 1明治14年 (1881年) 竣工,近代土木遺産Bランク 2

 

石造りの隧道としては,以前レポートした大沙川隧道や由良谷川隧道,旧・長野隧道よりも古い.それらと比べると積まれた石のひとつひとつはいびつで,扁額やピラスター等もない簡素な坑門だが,そこがまた素朴な印象を受ける.

 

より接近して.

この不揃いな荒々しさが好ましい.

 

こちら側も,坑門付近は石アーチが残っていた.

地学はまったくわからないが,この青みがかった色は自然石に由来するのだろうか?

 

最後に,西側坑門の遠景.

今年で御年140歳,さすがの風格だった.

 

ゆっくり眺めてから来た道を戻ったら,帰りのバスにはやはり間に合わなかった.仕方がないので周辺を散歩しつつ,1時間後の次便を待った.

おまけ

山の麓にあった八坂神社.

苔生していて良い雰囲気だった.

参考文献

  1. 猪名川町企画総務部企画政策課広報戦略室 (刊行年不明) "くろまんぷ/猪名川町" 2021年6月3日閲覧.
  2. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 198-199,土木学会.