交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

福知山市三和町の下川合橋 (2021. 5. 3.)

弁天橋から次の目的地に移動中,気になって立ち寄った橋があったので,軽くレポートする.

目次

本編

京都府道59号を走行しているとき,川合川を「下川合大橋」で渡るところで,旧橋の姿が目に止まった.

良い古び具合である.コンクリートは変色が進み,頼りなさげな高欄は欠けたり曲がったりしているが,そこに味がある.そして特に印象に残ったのは,橋の中心を支える橋脚である.川幅の狭さも相まって,随分どっしりとした印象を受ける.

 

橋上の風景.

道幅は1.5車線ほどで,案外広い. 

 

親柱は4本とも残っていた.素晴らしい!

お名前は「下川合橋」(しもかあいはし).そして肝心の竣工時期は,「昭和四季拾壱月」だろうか?あまり自信がないので,解読出来た方はぜひご教授ください.

 

しかし昭和4年竣工というのが正しいとしたら,想像以上に古かった.そしてその年代を考えると,道幅は相当広い.当時から重要な道路だったのか,あるいは後年に拡幅されたのか.いずれにしても,90年以上前の橋が供用され続けているのは素晴らしい.

 

欄干の朽ちた部分.

体重をかけたら落ちそうだ.

現橋について

すぐ脇に架かる府道59号「下川合大橋」の銘板.

昭和59年10月竣工,まだまだ新しい.しかし「一等橋」とは聞き慣れない言葉である.調べてみると,橋の設計荷重に関しての区分で,平成5年に廃止された 1 とのことである.私が生まれるより前なので,知らなくても不思議ではなかった.

 

橋の位置と名前からして,本編でレポートした「下川合橋」は明らかに「下川合大橋」の旧橋と思われたが,一応古い航空写真で確認した (出典 : 地理院タイル).

左が2004年,右が「大橋」の竣工前の1975年である.それぞれの写真中央,黒の十字の位置が下川合橋である.左の写真の,下川合橋の左上の2車線道路が「大橋」だが,右の写真にはそれがなく,下川合橋が本線となっている.やはり下川合橋は「大橋」の旧橋であった.

 

さて,ここからは私の推測だが,「大橋」は銘板に「一等橋」と誇らしげに彫ってあることからして,耐荷重を重視して架けられたのかもしれない.旧橋である下川合橋に重量制限の標識などは見つからなかったが,見た目からして,大型車両が通行するにはいかにも心許ない.橋の架替えの理由としては,もちろん道幅や線形の改良もあったのだろうが,戦後のモータリゼーションの進展で,重量級のトラック等が多数通過するようになったことも大きかったのかもしれない.

参考文献

  1. 島田静雄 (2007) "易しくないコンクリート工学" p.76,橋梁&都市 PROJECT,橋梁編纂委員会,2021年5月21日閲覧.