交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

南丹市八木町の大堰橋 / 八木大橋 (2021. 9. 12.)

京都府の中央,八木町の入口を飾る戦前製のカンチレバー (ゲルバー) トラス橋.

 

JR山陰本線で京都駅から14駅,亀岡市から南丹市に入って最初の停車駅が八木駅だ.ここはかつての船井郡八木町で,平成の合併以降は南丹市八木町となっている.そんな八木駅の至近に,戦前に架けられてから90年近く,町の玄関口として活躍してきた橋がある.

淀川水系桂川の上流部 (大堰川) に架かる,国道477号大堰(おおい) (八木大橋) である.

 

大堰橋の歴史と現在の橋の諸元は,現橋の完成を報じる「道路の改良」の記事 1 に過不足なくまとまっている.ここでは全文を引用することで,解説に代えさせていただこうと思う (強調と注釈は私による).

京都府下鮎の名所大堰橋の竣工

京都府下で鮎の名勝大堰川の上流周山街道八木町大堰橋は十萬五千圓の工費を以て架工したが最新ゲルバー式鋼構橋 [注1] の新装も美々しく竣工したので六月七日 [注2] 八木町富本村とで大祝賀會を擧行した、橋の總延長二百十一米有効幅員五・五〇米、水面上百十米である、そもそもこの大堰橋は明治二十七年初めて八木、富本兩町村を結びつけたが、それまでは渡船で通つていた、それが明治二十九年八月と九月の水害で百十三メートルにわたる落橋で三十四年に假橋が出來たがこれがまた三十九年の水害に流失して四十二年に架橋され、數次の改修補强でからくも交通の道を達してゐたがいよいよ昭和九年二月架替工事に着手、今囘めでたく新装なり落成すに至つたもので明治三十九年の最大增水よりなほ一メートル五十の高さを有し、地方民が增水毎に憂慮した交通の危險も除去されたわけである。

[注1] 構橋はトラス橋のこと.[注2] 昭和10年 (1935).

 

幾度となく繰り返された水害との闘いの末に生まれ,90年近く経った今も現役ではたらく永久橋を訪ねた.

 

右岸上流側から見る大堰橋,昭和10年 (1935) 竣工,近代土木遺産Bランク 2

 

橋脚真上の部分をつまみ上げたような,所謂上曲弦のトラス.カンチレバートラスでは典型的な形式で,府下でも戦後に泉大橋や笠置大橋で採用されているが,戦前製のものは本橋が府内唯一で,全国的に見ても7例のみとされる 2.トラスの種類はプラットトラスで,既にワーレントラスが主流になりつつあったこの時代としては比較的珍しい.

 

わかりにくいが (この時はろくにズームできないスマホカメラしか持っていなかったので…),中央径間に吊桁が挟まっている.

 

桁裏.かなり改修の手が入っており,床版と主桁フランジ,斜めに渡された下横構は全て新しい部材となっている.橋梁史年表 3 には昭和55年 (1980) に床版打ち替えと記されているので,その際の施工であろう.横桁はリベット打ちだが,当初のものか定かではない.

 

くぐり抜けて下流側へ.歩道橋が増設されている.これは橋梁史年表 3 によると昭和47年 (1972) の施工.

 

河川敷から道路に戻る.

古い街道らしい幅員の道の先に,水色のトラスが待つ.

 

橋門工.左右の弦材を結ぶ横材に装飾はほとんどない.あまりに簡素なので改築かとも思ったが,どうもそうではないらしい.

 

こちらはWebサイト「まちかどの西洋館別館・古写真・古絵葉書展示室」さまの記事 4 にから引用させていただいた古絵葉書.現状と同じ橋門工が写っており,改築でないことがわかる.

 

向かって左側 (下流側) に製造銘板が残る.かなり読み取りにくいが,後述の対岸の銘板の内容を考えると,「昭和拾年 株式会社横河橋梁製作所 大阪工場製作」と刻んでいるはず.

 

親柱は下流側のみ現存する.常夜灯を兼ねた立派な石柱で,「おほゐはし」の題額を掲げる.当然ながら,先の古絵葉書に見たように,かつては上流側にも親柱が建っていた.

 

さて渡ろう.

近景.トラスの上弦材には電飾が這わせてある.歩道橋の街灯と思われるが,点灯すると上曲弦の形のライトアップとなるのだから洒落ている.ちょっと見てみたいと思った.

 

リベットとレーシングが格好いい.

 

トラスそのものは比較的旧状を留めている……思っていたが,よく見ると一部斜材のレーシングが全てボルトで打ち直されていたりする.外観をできるだけ損ねないよう配慮しながら補修したということか.

 

固着桁と吊桁の継ぎ目.ここもかなり補強が入っている.

 

渡って左岸側の橋門工.右岸側と異なり,上弦同士を結ぶ横材がのっぺりした新しいものに交換されている.

 

こちらにも銘板.右岸のものより読みやすい.

 

左岸側はトラスの先に桁橋が続く.この部分は昭和10年 (1935) の開通当初はRC単純桁10連であったものが,平成8年 (1996) に3径間連続の鋼プレートガーダーに架換えられている.おそらく河川改修によって川幅 (低水路) が広がったことで,短い多連のRC桁では河積阻害が大きいと判断されたのだろう.実際,現状ではプレートガーダーの一部も低水路に架かっている.

 

渡りきって左岸側の橋詰から見たプレートガーダー部.

 

左岸側の親柱.意匠は右岸側と似ているが,ちょっと綺麗すぎてあまり古さを感じない.桁橋部分の架換えに合わせて作り直したのではないかと思う.

 

プレートガーダーの桁裏.平成の作なので当然リベット結合ではない.

 

高水敷は運動場になっており,トラス部分の直前まで歩いていくことができた.

左岸側から見る大堰橋のカンチレバートラス.

 

探訪は以上.架設からおよそ90年,各部で補修は重ねられているものの,当初の雰囲気を残しながら八木町の入口として維持されてきた土木遺産だった.

 

余談だが,現在の大堰橋ができた後も,橋梁の被害はないものの水害との闘いは続いている.特に昭和35年 (1960) には,台風第16号に伴う豪雨が八木町全域に氾濫をもたらし,救援にあたった陸上自衛隊員3名が増水に呑まれて命を落とす事態となっている.大堰橋の南詰付近には,犠牲となった自衛隊員を顕徳する殉難碑が建つ.

参考文献

  1. 道路改良会・編 (1935) "京都府下鮎の名所大堰橋の竣工" 道路の改良,第17巻7号「地方通信」,p. 172,道路改良会,2022年9月8日閲覧. 
  2. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 182-183,土木学会.
  3. 土木学会附属土木図書館・編 (2008) "橋梁史年表" 2022年9月8日閲覧.
  4. べーさん@京都 (2009) "古絵葉書・新設八木町大堰橋 - まちかどの西洋館別館・古写真・古絵葉書展示室" 2022年9月8日閲覧.