交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

国道9号 老の坂隧道,観音峠隧道 (2022. 3. 30. / 2022. 10. 23.)

京都・宮津間車道 (現国道9号) に対する昭和初期の改築によって生まれた隧道.京都府独自の「単純化された古典風」の隧道デザインの先駆け.

 

はじめに

京都・宮津間車道,すなわち京都市街と日本海に面した宮津を結ぶ車道は,明治期,北垣国道知事の時代に整備され,荷車や馬車の通行が可能となった.しかしながら,そんな「車道」も,昭和の時代に入って自動車が利用されるようになると,幅員や勾配の面で支障をきたすようになった.

 

なかでも,京都市亀岡市の境 (山城国丹波国の境) に在する老ノ坂峠と,船井郡園部町 (現・南丹市) と竹野村 (現・京丹波町) の境の観音峠は二大難所とされた.前者には明治の改良で隧道が穿たれていたが,老朽化が進み,断面積も不足していた.そこで,昭和8年 (1933) から昭和10年 (1935) にかけて,両峠の改良が施された.

 

今回は,この改良事業によって新設された老ノ坂隧道,観音峠隧道のそれぞれをレポートする.老ノ坂隧道は以前も記事にしたが,再訪に合わせてリライトする.

老の坂隧道

場所

[34.98984744854156, 135.63567880037112] (世界測地系).

歴史

明治の隧道

老の坂峠は,京都市亀岡市を隔てる大枝山を越える峠であり,古くから山陰街道上の最初の難所として知られていたが,明治期に進められた京都・宮津間車道開鑿工事の一環として,明治15年 (1882) に峠を貫く老の坂隧道が造られた 1

 

初代・老の坂隧道.「京都府誌」2 より.

 

写真の通り,石造りの立派な坑門を有し,「松風洞」の雅号が扁額に刻まれた隧道であった.

昭和戦前の隧道

偉観を誇った老の坂隧道も,竣工から半世紀近く経った昭和初頭には老朽化が進み,またその断面積も自動車の交通には不十分であることが明らかとなった.その状況を工事誌 3 は次のように描いている.

峠に存する延長183米の隧道は有効幅員僅かに4.3米、高4.34米に過ぎず、且つ漏水著しく從つて自動車摺違ひの通行不可能のみならず、路面不完全にして入馬 [原文ママ] の交通すら甚だ困難なる

 

老の坂峠の二度目の改修は,昭和8年 (1933) から昭和10年 (1935) にかけて国直轄事業として進められた.旧隧道を廃した上で,並行して新隧道を開削するとともに,前後の道路の線形および幅員も改良された (有効幅員7.5m) 3

 

2代目・老の坂隧道はコンクリートブロック造り (側壁は場所打ちコンクリート) であり,昭和8年 (1933) 7月16日起工,翌9年7月5日竣工.コンクリートブロックは京都側の110mは2枚巻き,宮津側の45mは粘土状の地質であったため4枚巻きとされた 4.有効幅員は5.5m 4 と,前後の道路に比べると相変わらず狭隘であるが,工費の都合か技術的困難性によるものかは定かではない.

竣工当時の老の坂隧道.工事誌 3 より.写真は京都側で,「和風洞」の雅号を刻んだ扁額が掲げられている.左奥には初代隧道 (松風洞) が写る.

昭和戦後の改修

戦後はモータリゼーションの進展により,2代目・老の坂隧道も手狭になった.幅員は5.5mであるから,特に背の高い車は洞内での擦れ違いが困難で,交通渋滞は日常的,海水浴のシーズンには交通麻痺の様相を呈していた 1.これを解決するため,放置されていた初代隧道を拡幅して幅員7mとする工事が昭和40年 (1965) 6月12日に開始され,翌41年4月23日に開通した 1

工事中の様子.亀岡市の「市民生活のてびき」5 より.左奥に2代目隧道が見える.

 

完成した3代目隧道 (右).「目で見る亀岡・船井の100年」6 より.宮津側の写真である.

 

上の写真では2代目隧道が京都方面,3代目隧道が宮津方面の一方通行となっているが,現在は前者が自転車・歩行者用,後者が対面通行の車道となっている.いつ頃変わったのかは不明である.京都縦貫道が開通して国道の交通量が減った頃かもしれない.

探訪

2022年10月23日,現地を訪ねた.隧道の京都寄りの歩道橋の下に駐車スペースがあったため,そこに車を停めた.なお,ストリートビューで見てみると,その場所はいつの間にかバス停になったようで (少し京都寄りから移設されたらしい),今は駐車できなくなっている

 

(旧) 老の坂隧道,昭和9年 (1934) 竣工,近代土木遺産Cランク 7

 

坑門は全てコンクリート造りながら,ピラスターとアーチ環,笠石が凹凸で表現されている.「日本の近代土木遺産7 では「単純化された古典風デザイン」と評されている.古典的な要素を踏襲しつつ,コンクリートならではの滑らかな仕上げとしているのが好ましい.この意匠は,その後しばらくの間京都府が建造した隧道で共通して採用されている.

 

 

 

扁額には「和風洞」.旧道の松風洞に対して,昭和の「和」だろうか.その左には「昭和九年二月」そして「五林書」だろうか?揮毫者は誰だろう?

 

細かいところだが,扁額の上に3個の部材が取り付けられており,笠石を支えている.なんとなく昔のトラックについていた速度表示灯みたい.なお,宮津側にはこの部材はなかったし,観音峠隧道にもなかった.初期だけの造形だろうか.

 

隧道の脇には旧隧道の「松風洞」の扁額が存置されている.

 

内部は完全に後付けのコンクリート覆工で改修され,コンクリートブロックの組積は見る影もない.

 

振返り.

 

わかりにくいが,宮津寄りの地点で巻厚がより大きくなっている.前述のように,当初は宮津側の45mが粘土状地質であったためにコンクリートブロックが多めに巻かれていたが,その区間かもしれない.

 

宮津側坑門.意匠は京都側と同じだが,明らかに内部の追加巻き立てが厚い.やはりこちら側の地質の悪さが影響しているのだろうか.

 

扁額には「老の坂隧道」.

 

 

こちらにも初代隧道の扁額が残っている.「遠邇之利往来之便」.

観音峠隧道

場所

[35.1223943053174, 135.44074008623446] (世界測地系).

歴史

観音峠は船井郡園部町と竹野村の間の海抜285mの峠であり 8,明治当時の国道は山越えをしていたが,屈曲と勾配が著しく見通しも悪かったため,昭和初期から船井郡をあげて改良の陳情が行われていた 9

 

昭和8年 (1933) 7月24日 4,老の坂隧道改築と時を同じくして観音峠の改修工事が,時局匡救事業として開始された 9農繁期に人夫が予定の半分も集まらず作業が停滞するといった苦労がありつつも 9昭和9年 (1934) 8月14日に竣工し 4,翌年3月に新道全体が完成した.隧道は有効幅員7.5mで,老の坂隧道と同じくアーチはコンクリートブロック,側壁は場所打ちコンクリートで造られた 4

 

工事風景.「山陰道觀音峠附近道路改良工事」8 より.コンクリートブロックを積み上げている風景である.

 

完成した観音峠隧道.「京都國道 (18號線) 改良工事」3 より.

 

観音峠隧道は老の坂隧道と違って幅員が7.5mと広い.昭和初期に京都府下に造られた隧道としては随一の広さである.現代の自動車でもすれ違える幅員であるため,国道9号の車道として今も現役で利用されている.

探訪

2022年3月30日,現地を訪ねた.京都側から登ってゆき,隧道の手前の凍結防止剤置場が少し広くなっていたので駐車した.

 

観音峠隧道,昭和9年 (1934) 竣工.

 

老の坂と共通の意匠である.

 

扁額には「観音峠隧道」.

 

内部.覆工はこちらも全面的に吹付きコンクリートで改築されており,コンクリートブロックは隠れている.

 

振返り.

 

車に気を付けて隧道を歩き,通り抜ける.

 

宮津側坑門.

 

扁額には「慈眼洞」.観音峠の名前の由来となった観音堂に因んだ雅号であろう.その横には老の坂隧道と同じく,「昭和九年二月 五林 (?) 書」.

 

おわりに

昭和初期,国直轄の国道改良工事によって誕生した老の坂隧道と観音峠隧道を訪ねた.両隧道は「単純化された古典風」の共通した意匠を有しているが,この意匠は間人隧道 (昭和13年),黒田隧道 (昭和14年),深見隧道 (昭和21年),白鳥隧道 (昭和26年),穴の浦隧道 (昭和37年,ピラスターなし) など,戦前から戦後にかけて造られた京都府内の隧道にも採用されている.しかしながら,このうち黒田,深見の両隧道は廃止され,また白鳥隧道も拡幅される予定である.老の坂と観音峠の両隧道は,昭和初期の意匠を留める隧道として貴重な存在であり,歴史を伝える生き証人として今後も末永く活躍してほしいと思う.

参考文献

  1. 亀岡市史編さん委員会・編 (2004) "新修亀岡市史" pp. 112-114 / 829-830,亀岡市
  2. 京都府・編 (1915) "京都府誌" 下,p. 211,京都府
  3. 高西敬義 (1935) "京都國道 (18號線) 改良工事" 土木建築工事画報,11(6),pp.312-316,工事画報社.
  4. 内務省土木試験所 (1941) "本邦道路隧道輯覧" pp. 9 / 40,内務省土木試験所.
  5. 亀岡市企画管理部秘書課・編 (1982) "市民生活のてびき" p. 8,亀岡市
  6. 永光尚・監 (1995) "目で見る亀岡・船井の100年" pp. 23 / 124, 郷土出版社.
  7. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 178-179,土木学会.
  8. 小野龍一 (1934) ""山陰道觀音峠附近道路改良工事" 土木建築工事画報,10(1),pp. 47-51,工事画報社.
  9. 八木町史編纂委員会・編 (2013) 図説 丹波八木の歴史" 第4巻 近代・現代編,pp. 84-85,南丹市