交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

(旧) 国道168号の交通遺産【3/6】天辻隧道 (2021. 7. 22.)

天誅組の舞台としても知られる,西熊野街道随一の難所・天辻峠.道路改修のため大正期に造られた,国内最古級のコンクリート隧道を訪ねた.

目次

はじめに

奈良県五條市,海抜800mの天辻峠の名前は,幕末の歴史に詳しい方なら耳にしたことがあるかもしれない.五條で挙兵した尊王攘夷派の志士集団「天誅組」が,幕府軍に追われる中で本拠地とした土地である 1.そんな天辻峠は,吉野川流域から十津川 (熊野川) 流域に抜ける際の最低標高・最短距離の鞍部であったことから,近世以前から五條と熊野を結ぶ西吉野街道 (現・国道168号) が通過していたが,地形は急峻で,街道随一の難所として知られていた 2, 3

 

西熊野街道に対する最初の近代的な道路改修は,明治39年 (1906年) に計画され,翌年に五條市南宇智から着工した 2.その事業のハイライトとなったのが,最難所の天辻峠を貫く隧道工事で,大正11年 (1922年) 2月に起工,同年12月に天辻隧道として竣工している 4

 

天辻隧道の完成によって,峠南麓の大塔村 (現・五條市大塔町) は初めて自動車を見ることとなり 3大正14年 (1925年) には五條から大塔村を経由して十津川村に至るバスが運行されるようになった 2, 3.さらに,林業の盛んなこの地では,古くは筏流しによって和歌山県新宮に木材が搬出されていたが,隧道を通って五條,そして大阪方面へのトラック輸送も開始された 3

 

天辻隧道は,コンクリート製の隧道としては最初期のものでもある.そもそも大正期には,明治期からの伝統的な煉瓦アーチの隧道が依然造られていた.本ブログがこれまでにレポートしたものでも,大正6年 (1917年) の三瓶隧道や大正10年 (1921年) の相坂隧道などがある.国内に現存する最古のコンクリート隧道が大正10年製の徳島県・松坂隧道であること 5 はよく知られているが,天辻隧道はそれに次ぐ古さであり,技術史的にも重要な土木遺産と言える *1

 

昭和34年 (1959年),より低い位置に新天辻隧道が開通し,本隧道は国道168号としての役目を終えた 4.しかし,本隧道を含む旧道は林道に転用されており,平成になってからも坑門や覆工の改修工事が実施されている 4

 

地域の近代化に大きく貢献し,新隧道が開通した現在でも必要とされる,大正生まれの天辻隧道を訪ねた.

探索記録

アプローチには隧道南側の旧道を利用した.北側の旧道も残ってはいるようだが,こちらは舗装されておらず,また相当の悪路という事前情報があったからだ.

 

立川渡から永谷に抜け,延々と続く急坂を登り切った私は,いったん新天辻隧道で峠を越え,方向転換と休憩を兼ねて下り坂の途中にある道の駅「吉野路 大塔」に立ち寄った.いつもの駐車場は混雑していたので,道路を挟んで反対側にある第二駐車場に入ったが,これが正解だった.

 

駐車場の片隅には,十津川村生まれの詩人・野長瀬正夫の詩を刻んだ碑が建っていた.

以下引用.

和州天辻峠

わが旅は深く南山に入り 今日まさに天辻の嶮を越えんとすなり 谷瀝々と千年の石を洗い 山欝々と眉に迫りて わずかに仰ぐ秋天の青をただよい行くは雲か煙か 行人絶えて鳥も来鳴かず この寂しさを耐えんすべなし 回想す 文久の秋 天誅組の若者が死を怖れず大敵を迎えて激闘の山 今その頂上に達せんとするとき 山霊発して一陣の風を呼び 俄に沛然と豪雨到れり 即ち老杉の陰を求めて宿らんとするに 草茫々たる中に一基の塚あり わが心粛然として雨にぬれつつ 命若うしてこの山に果てたる草奔の志の憐さを思い しばし低回して去ること能わず さもあらばあれ和州天辻峠 杖を立てて更に南を望めば 道は荒涼として十津川村に連なる

野長瀬正夫

これを読んだ私はしばし石碑の前から動けなかった.今回は見送ったが,いつか私も隧道より前の峠道を歩いて辿ってみたくなった.おそらくこの詩は,隧道が開通し,峠が交通の中心から外れた後の情景を描いている.天誅組の塚が今でもあるかはわからないが,雰囲気は大きく変わってはいないものと思っている.

 

天辻峠の荒涼寂寞たる印象が心に植え付けられたところで,車に戻り,国道168号を北に引き返す.「天誅組本陣遺跡」の大きな看板のあるところで曲がりたくなるが,隧道はその次の分岐だ.

右側の1車線の道を登る.

 

少し先に集落 (といっても2-3軒の住宅があるだけ) がある.そこを過ぎると寂しい杉木立の中を進む山道となった.

この道をバスや材木を満載したトラックが行き交っていたとはちょっと想像しづらいが,それでも舗装されているし,普通車や軽自動車なら気を付けて走れば問題ない.個人的には何度か走ったことのある京都市百井峠を思い出した.

 

集落を抜けてからおよそ5分.

これまでの狭隘路には不釣り合いなほど立派な隧道が,突然現れた.

 

接近して.

天辻隧道・南側坑門.

 

素晴らしい保存状態だと早合点してはいけない.これは平成になってから改築された坑門である 4.改修前 (2000年10月) の姿は,前回の記事でも参考にさせていただいた「NOROMA CLUB」さまの記事 6 に掲載されていたので,今回も引用させていただく.

この写真を見ると,改修後もオリジナルの意匠がよく保存されていることがわかる.美観を無視してのっぺりした壁のように改修されてしまう隧道も多いなか,これだけ精巧に意匠を再現したことに注目すべきだろう.

 

坑口付近から見上げて.

扁額には朗々とした書体で「天辻隧道」.基雄,すなわち竣工時の奈良県知事・成毛基雄の署名も見えることから,改修前のものを再利用していることがわかる.そして見逃しがちだが,最上部の笠石だけがやけに汚れが目立っている.こちらもオリジナルのものが活用されているのだろう.可能な限り旧状を留めようとした痕跡が感じられて好ましい.

 

さて,洞内へ.

真新しいコンクリートで巻き立てられているが,これも平成以降の改修によるものである 4.照明こそないものの直線だから出口は見えており,全く通行に不安はない.隧道はとかく怖いものと思われがちだが,落盤や不法投棄でもない限り,洞内は概して安定しているものだ.むしろ隧道につながる荒れた山道の方が,落石や崩落のおそれがあって危険と言えるだろう (今回私の辿った道にはそれすらもなかった).

 

ここでも旧状を知るため,「NOROMA CLUB」さまの記事 6 に掲載の,改修前 (2000年10月) の内部写真を引用させていただこう.

アーチ部分はコンクリートブロック巻きではないだろうか?時代を考えても納得がゆく.だとすると,組積が確認できない現状は (仕方のないことだが) 残念だ.

 

現状に戻る.先ほどの写真でも見えていたが,本隧道の内部における一番の特徴は,北寄りで生じる巻き厚の変化である.

坑門工については南側 (手前側) の方が改修の度合いが大きいのだが,巻き立ては北側 (奥側) の方が分厚い上に新しいものに見える (PCL工法?).全体を丸ごと巻き立て直さなかったのはコストの問題だろうか.

 

北側に抜けて,振り返ると,

本来の年月を経た天辻隧道の姿があった.コンクリートの剥離の規模がこの地の環境の厳しさを物語っている.

 

見上げて.

扁額は南口と同じもののようだ.その左に工事銘板も掲げられている (南口にもあったが影に隠れていた) .「奈良県の近代化遺産」4 によると

大正十一年二月起工

大正十一年十二月竣工

延長八十間

幅員十八尺

有効幅員十五尺

と刻まれているようだ.上の写真でも「幅員十八尺」はかろうじて読み取れるが,その左の「有効幅員」の部分は剥落してしまっているように見える.

 

坑口の両脇には,

巨大なピラスター.「奈良県の近代化遺産」4 では「おそらく後補」とされている.その外側は玉石を積んだ石垣で土留めがなされており,後補としてもそれなりに古い時代の施工と思われる.

 

最後に北側の引いた位置から.

隧道北口から北側の旧道は未舗装のままで,隧道ポータルと合わせて当初の雰囲気が色濃く残っていた.この旧道を辿るのも楽しそうだが,車両での進入は無謀だと考え,今回はもう一度隧道を通って南側に引き返した.次に来る時は歩いてみたいと思う.

 

来年で竣工100年を迎える天辻隧道は,技術的に重要なだけでなく,意匠も含めて大切に維持されてきた貴重な土木遺産だった.なお,現道の新天辻隧道についても,五條新宮道路の一部として,バイパス道路の建設が計画されている 7.これが完成すれば,大正・昭和・そして令和の3世代の隧道が揃うことになる.その頃まで大正生まれの天辻隧道も元気で活躍していてほしいものだが,果たしてどうなるだろうか.

参考文献

  1. 奈良県文化・教育・くらし創造部文化資源活用課 (2018) "天誅組 | 明治150年記念 奈良の近代化をささえた人々 | 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」" 2021年9月28日閲覧.
  2. 西吉野村史編集委員会・編 (1963) "西吉野村史" pp. 87-94,西吉野村教育委員会
  3. 大塔村編集委員会・編 (1959) "大塔村史" pp. 115-116,大塔村
  4. 奈良県教育委員会・編 (2014) "奈良県の近代化遺産:奈良県近代化遺産総合調査報告書" p. 146,奈良県教育委員会
  5. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 234-235,土木学会.
  6. noroma (2002) "NOROMA CLUB-旧道探索(国道168号線)-" 2021年9月28日閲覧.
  7. 奈良県道路建設課 (2018) "一般国道168号五條新宮道路「新天辻工区」の国庫補助採択による新規事業化について/奈良県公式ホームページ" 2021年9月28日閲覧.

*1:「日本の近代土木遺産」に選ばれていないのが不思議でならないが,後年の改修が大きすぎると判断されたのだろうか.奈良県にはこういった物件が多いと個人的には感じている.奈良県の近代化遺産調査報告書の発行が他県と比べて遅かったことも一因かもしれない.