交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

花輪線 東大館駅 (2023. 11. 23.)

秋田県大館市.市街地で静かに佇む木造駅舎.

 

JR花輪線は,秋田県北東部の大館市大館駅から南東に進み,奥羽山脈を越えて岩手県盛岡市好摩駅に至る鉄道路線である.このうち大館駅から鹿角市鹿角花輪駅までの区間は,私鉄の秋田鉄道によって大正期に開業した.

 

花輪線の起点駅である大館駅は,明治32年 (1899) に官設鉄道奥羽北線の停車場として建設されたものであり,大館の市街地からは離れた旧釈迦内村内に設置された.そんな大館駅を発った花輪線は南に向かい,長木川を渡って東大館に着く.大正3年 (1914) 7月,秋田鉄道の最初の工区の開通と同時に,大館市の中心部たる旧大館町内に設置された駅である 1.当時の大館町の様子を,秋田鉄道が刊行した鉄道案内 1

北秋田郡第一の都會にして戸數二千三百、人口三千餘を有し四通八達の要衝地にして林產地、鑛產地其四周を圍繞するを以て、旅客貨物の集散極めて繁く、本郡商工業の中心たり。

と評している.

 

開業当初の東大館2.地方都市大館の中心地に位置するという重要性からか,立派な駅舎が設けられている.

 

現在の駅舎は,ネット情報では典拠不明なるも昭和3年 (1928) 改築とされている.改築がちょっとした増築程度であったのか,それとも新築に近い改築なのかは定かではないが,いずれにしても古き良き立派な木造駅舎が残されている.

 

2023年11月23日,所用で大館市を訪れた際に立ち寄った.

 

花輪線 東大館駅舎,大正3年 (1914) 開業,昭和3年 (1928) 改築?(財産標は見つけられなかった).風格ある立派な木造駅舎である.

 

車寄せ.達筆で駅名を刻む.四隅の柱にスリットが設けられているのが洒落ている.

 

事務室部分の壁面は下見板張り.

 

待合室部分.目透かし張り.

 

駅舎を背にして駅前を見る.広い駅前広場は質素な駐車場となっていてやや寂しい.

 

しかしその中心には,いかにも町の玄関口にありそうな大きな看板が建っており,ここが大館市の市街地であることを実感させる.

 

駅舎の目の前には,昭和47年 (1971) 10月14日 (鉄道の日) の日付を刻んだ鉄道100周年の記念碑.裏を見ると社是ならぬ駅是として「和協」の言葉とともに,駅員の氏名ががずらりと並ぶ.今は無人駅となった当駅だが,かつてはこんなにもにぎやかだったのだ.

 

駅舎内部の景.

 

窓口と売店の跡が残る.かつて花輪線に急行列車が運転されていた時代,ここできっぷと軽食を買い求める客も多かったのではないか.

 

駅舎からホーム側に出ると,秋田犬の像が出迎えてくれる.

 

庇を支える木の柱が連なる.木造駅舎特有のこの景色がたまらない.

 

駅舎脇には木造の倉庫が現存する.

 

ホーム側を見る.駅舎とホームの間にあった線路は全て撤去され,広い草むらとなっている.2枚目正面のやや長い通路は明らかに構内踏切の跡である.

 

ホーム.コンクリで嵩上げされているが石積みである.島式のホームは手前 (駅舎側) の線路が撤去され柵が設置されている.

 

点字ブロックはなく,昔ながらの白線が残る.

 

駅舎と反対側にも広い空き地がある.側線跡であろう.

 

順に大館方,盛岡方.不自然なカーブはかつて駅舎側に線路が分岐していた名残である.

 

ホーム側から見た駅舎.

 

やがて盛岡方からディーゼルカー2両連結の列車が到着したので,乗り込んで大館駅に戻った.東大館駅での滞在時間は45分ほどであったが,何度かタクシーの運転手等がトイレを使いに来た以外,誰もこの駅を訪れなかった.当駅の乗降客数は1日あたり200人前後で推移しているという.少々寂しいが,旧い駅舎の風格や,かつて貨物の積み下ろしで賑わったであろう広い構内の雰囲気を味わうには良い時間だった.

参考文献

  1. 秋田鉄道株式会社運輸課・編 (1922) "秋田鉄道案内" pp. 4-6,秋田鉄道.
  2. 石井博夫 (1979) "ふるさとの想い出 : 写真集明治大正昭和大館" p. 61,国書刊行会