はじめに
私事ながら,仕事の都合で引越しをした.これまで住んできた京都の実家を出て,1,000km離れた青森県弘前市の民となった.今回はその記念というわけでもないが,まだ越してきて間もない私が見た中で,市内で最も美しい橋をレポートする.
弘前市土手町は,慶長16年 (1611) に築かれた弘前城の城下町のひとつであり,商工業者の集まる職人の町として発展した.現代も多数の店や商業施設が軒を連ねる繁華街となっている.
蓬莱橋は,土手町を流れる岩木川支流土淵川に架かる橋である.現在は青森県道3号弘前岳鰺ケ沢線の一部となっている.
場所: [40.6013743, 140.4721523] (世界測地系).
最初の蓬莱橋は慶長18年 (1613),津軽藩2代目藩主の津軽信牧 (津軽為信の息子) が城下町を開くにあたって架けられた 1.つまり本橋の歴史は弘前城や土手町と共にある.当時は「土手の大橋」などと呼ばれていたらしい.蓬莱橋の名は,文化10年 (1813) の架換えにあたって9代目藩主寧親が命名したものである 1.ここから見える南方の慈雲院 (現在は廃寺) の山号・宝雷山にちなんだものと伝えられる.
近代の橋としては,明治24年 (1891) に架けられた木橋が最も古い記録となっている 2.次いで大正4年 (1915),陸軍特別大演習に伴って架け換えられ,10月4日に開通式が開かれている 2, 3.この橋は木橋といえども大鰐産の竪石を敷いた立派なものであり 3,戦中も含めて長く使われた.
その後,戦後の昭和26年 (1951) に架け換えられ,現在のRC橋となった.
12月23日に開通式が開かれたが,その様子を中土手町誌 1 は次のように記している.
まれにみる好天気で橋の両側に大アーチを設け各商店は色とりどりの装飾をして歳末の景気をあおり、早朝から渡り初めを見ようと観衆が続いて約三万人、道路からはみ出た人々は商店の二階の窓、屋根の上まで溢れ、交通整理の弘前署員も汗ダクの体で、土手町一町にこれだけ人出を見たのは今回がはじめてだといわれるほどの盛況であった
写真も中土手町誌 1 より.これが豪雪地帯の真冬の情景というのだから驚く.今と違って木橋ばかりだった時代,永久橋への期待は相当大きかったのだろう.
探訪
探訪日は2022年11月29日.前日に現職の面接を終え,この日は帰りの飛行機までフリーだった.雨予報だったが朝起きてみると晴れていたので,今のうちにと見に行った.
上流から見る蓬莱橋,昭和26年 (1951) 竣工.
3径間のRC連続桁橋.装飾付きの古色ある高欄が素晴らしい.床版は改築されているっぽい.
円弧状の桁,橋脚上の丸い桁隠し,R加工された橋脚と,曲線が多用された意匠が美しい.
8本もの主桁が並ぶ.土手町の古くからのメインストリートであり,時代を考えると大きな幅員となっている.
橋脚上の支承.何かの参考になれば.
そのまま橋を潜って下流側へ.
蓬莱橋の上流側に平行して別の橋が架けられている.こちらは道路というより公園であり,蓬莱広場という名前が付けられている.ちなみに「幅員」は蓬莱橋の倍ほどある.
階段を上り「広場」へ.
この広場は蓬莱橋から少し離れており,おかげで蓬莱橋の良い視点場となっている.
左岸側から見る橋上の景.2車線の道路と両側に歩道を載せる大きな幅員を有する.ちなみに道路は対面通行ではなく,2車線とも西行き一方通行である.いずれにしても,この大きな幅員が,現在まで蓬莱橋が現役で残されてきた理由であろう.
このあたりから急に天気が悪くなり,雨がパラつき始めた.
立派な親柱と高欄.東北では貴重な例である.
親柱近景 (左岸下流側).石造りの端整なもので「土淵川」の銘板を掲げる.
側面には工事業者の名を刻んだ銘板.「請負人 施工者 弘前市大字本町 村田藏吉」とある.本町はここから目と鼻の先であり,弘前城の南,弘大病院がある辺りである.
高欄.コンクリートの上部に御影石の笠石が載る.鋳鉄製の装飾は何の模様だろう?奥に写るのが蓬莱広場.
このあたりで雨が強くなると同時に雹のようなものが降り出した.
渡って右岸下流側からの橋上の景.都市化に取り残された旧橋という感がある.
親柱には達筆で「蓬莱橋」.
道路を渡って右岸上流側へ.
親柱には「昭和廿六年十二月竣功」.
さらに対岸へ.
こちら (左岸上流側) の親柱には「ほうらいはし」.
もう一度橋を渡って対岸へ.この頃には雨は止み,晴れ間も出始めた.天気の変化が速すぎる.
右岸下流側から見る蓬莱橋.左奥のドーム状の建物は中三デパートである.
おわりに
昭和26年 (1951) に開通し,70年余を経てなお古色を留める蓬莱橋を訪ねた.
本橋のように古色を留めた橋,特に古い高欄を持つ橋は,青森県にはほとんど現存しない.私が見つけていないだけという可能性もあるが,全国道路構造物マップ+ストリートビューで虱潰しに探しても全然見つからないので,稀であることは間違いない.
思うに,この辺りは木橋から永久橋へ変化するのが全般的に遅かったのではないか.実際,戦前~昭和30年頃までに造られた橋自体がほとんど見つからないが,それらがいずれも木橋であれば納得できる.そしてようやく永久橋化が進んだ頃には,すでに無個性な規格品の橋の時代になっていた.だからこそ,関東以西によく残る古色ある橋,例えばアーチ型の窓を連ねた高欄の橋 (こういうの) とかが全然見つからないのではないか思っている.もちろん推測であって根拠はない.
明治24年 (1891) に架けられた旧々・蓬莱橋は,同28年頃の地誌に弘前名所の一つとして
と記されている.それから130年近くが経過し,橋も町も大きく変わったが,蓬莱橋は今も「本市第一の橋梁」だと思う.