交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

伊勢市 大口橋 (2022. 5. 2.)

三重県伊勢市・旧神社町域.大工場の陰にひっそりと残る大正期のRC桁橋.

 

伊勢市北部の勢田川河口付近の左岸側には,電機メーカー・シンフォニアテクノロジーの大工場が立地している.今回はその工場のすぐ脇に残る古橋,大口橋を取り上げる.

場所: [34.506707144202736, 136.730076233886] (世界測地系).

探訪

2022年5月2日,現地を訪ねた.駐車場所がないので,車は少し離れた場所に停め,西側から歩いて向かった.

バイパス道路から脇にそれて細道を進む.

 

ほどなくして到着.

大口橋,大正13年 (1924) 竣工.古色溢れる古い親柱と高欄を留める.

 

西詰親柱には立派な筆致で「大口橋」「大正十三年六月」.

 

サイドビュー.2径間のRC桁橋.

 

高欄はこのような形状の窓を連ねた意匠.この形状は時々見かけるのでなにか名前がついていると思うのだがわからない.

 

 

渡って対岸へ.

東詰からの景.

 

親柱の記載内容は西詰と同様.筆致は異なる.

 

 

視点を下げて桁裏を見る.主桁なしのいわゆる床版橋であるようだ.

 

 

橋の東詰は工場の通用門に通じるが,基本的に閉鎖されており,車は別の門から出入りしているようであった.道は工場手前で右に折れ,工場の外周に沿うように竹ヶ鼻地区へ続いているが,道自体もあまり使われていないようで,私がしばらく滞在している間も通る人はなかった.

考察

大口橋のあたりの旧版地図は今昔マップで閲覧できる.

左が大正9年 (1920),右が最新の地理院地図. 大正9年時点では道筋も水路も,もちろん工場も存在せず,一面畑が広がっている.

 

こちらは昭和12年 (1937) と最新地図の比較.当たり前だが大口橋が描かれている.そして農地の一部は水田に変わり,格子状に整然と区切られている.大口橋を含む道は,内陸の船江地区と沿岸の竹ヶ鼻地区を直線状に結んでいる.

 

したがって,耕地整理によって新しく道路と水路が建設され,それらの交差地点に架けられたのが大口橋と考えられる.橋から竹ヶ鼻方面に真っ直ぐ行くと大口神社があり,これが橋名の由来であろう.

 

RC橋は明治末期から日本で架設されてきた.初期のRC橋はアーチ構造であったが,大正中期頃からは桁橋にも用いられるようになった.つまり大口橋が架けられた大正13年 (1924),RC桁橋は最先端の橋であった.農地の只中を行く道にこのような最新技術が投入されたのは,単なる農道以上の意味を持つ道であったからではないかと思う.この道は勢田川河口の港から船江地区を結んでいたが,船江地区には大正11年 (1923) に東洋紡績の大工場が進出しており,産業道路としての役割が期待されていたのかもしれない.

 

シンフォニアテクノロジーの工場ができたのは昭和16年 (1941) である (当時は神戸製鋼所山田工場) 1.大戦中は海軍向け戦闘機の発電機などを造っていたそうだ.この工場によって,大口橋の東詰で道は分断されることになる.とはいえ,道が分断されたことで利用が減り,戦後の道路改良もさほど行われなかった結果として,大口橋のような古橋が現代まで残り続けたことは確かであろう.

参考文献

  1. シンフォニアテクノロジー創業100年史編纂部会・編 (2017) "シンフォニアテクノロジー100年史" pp. 63-65,シンフォニアテクノロジー