交通遺産をめぐる

関西を中心に隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

菅原城北大橋 (2021. 9. 9.)

大阪市・淀川に架かる,平成生まれの個性的な橋を訪ねた.

はじめに

原城(すがはらしろきた) 大橋は,大阪市北東部の旭区~東淀川区の,淀川に架かる道路橋である.

淀川の橋はそれぞれ多様な歴史を有するが,その中で菅原城北大橋はもっとも新しい部類に入る.昭和後期,大阪市北東部では急速な都市化が進み,豊里大橋や長柄橋で慢性的な交通渋滞が生じていた.さらには花の万博 (平成2年)の会場である鶴見緑地への円滑なアクセスルートが必要とされていたことも踏まえ,都市計画道路・豊里矢田線の一部として本橋が架けられた 1着工は昭和59年 (1974),改元後の平成元年 (1989) 6月10日に開通を見るに,当初は有料道路であった 1 が,平成26年 (2014) に無料開放された.

 

探訪は南岸側からおこなった.大阪シティバスを「城北公園前」で降りると,目の前を高架道路が跨いでいる.

これが件の都市計画道路・豊里矢田線 (管理名は大阪市道・上新庄生野線) である.この跨道橋の左に,菅原城北大橋が続いている.

 

南詰から見る菅原城北大橋.バス停や通りの名前にもなっている城北公園を跨ぐ部分は「公園の景観とよく調和」させるために,5径間連続RCアーチ橋となっている 2

 

橋脚に取り付けられた銘板.

 

床版は1枚だが,アーチリブは上り・下りの車線ごとに別々に設けられている.

 

横からの景.公園の景観とよく調和……しているのかな.個人的にはちょっと主張が強いような気もする.最近の高速道路のようなスラリとした桁橋でも良かったのではと思わなくもない.

 

5径間連続RCアーチのスパンは,南側から14.5m,34.0m,41.0m,47.0m,20.5m 2.一番南と一番北が極端に短いが,実際にはその部分はアーチリブが半分だけになっている.

順に南端,北端.この形状ではアーチの支持力は期待できないと思われるが,隣接する桁橋との見た目の連続性を考慮した結果だろうか.

 

5径間連続アーチの先はPC (プレストレストコンクリート) ラーメン桁.桁下の四角い建物は橋上の歩道へのスロープである.

 

PCラーメン桁で堤防を越える.

 

そして,その先の渡河部分には,

現代橋梁の象徴 (と私が勝手に思っている) 斜張橋

 

……なのだが,面白いのはその手前だ.

斜張橋の端部に橋脚を設けず,PC桁と空中で突き合わされている

 

桁同士を (橋脚上ではなく) 空中で突き合わせる構造はカンチレバー (ゲルバー) 橋と呼ばれ,スパンを大きくできることや橋脚の不同沈下に強い (多少の沈みは突き合わせ部の可動ヒンジが吸収してくれる) という利点から,戦前〜昭和30年代頃によく架けられた.しかし老朽化や自動車の普及・大型化が進むと,ヒンジ部が構造上の弱点になり,次第に箱桁やPC桁に取って代わられてきた *1.もっとも,本橋の場合は斜張橋と桁橋という異種の構造を突き合わせているので,古い時代のカンチレバー橋とは大きく異なる.

 

下流側の少し離れた場所から.今回の探訪のきっかけが,800mほど下流側に並行するJRおおさか東線の車窓から見えた,このような景色だった.遠目からでも,ケーブルに吊られた斜張橋と,橋脚から張り出したコンクリート桁が空中で継ぎ合わせてあることは明瞭だ.カンチレバー構造に目がない私はとても惹かれ,今回の探訪に至ったのだった.

 

施工報告 3 によると,この特異な架橋形態が選ばれたのは自然保護のためである.本橋付近の左岸 (いま見ている側) にはワンド,すなわち川の本流と一応繋がっているものの,河川構造物によって池のように囲まれているような地形が形成されている.水流が穏やかなワンドは,イタセンパラをはじめとする淡水魚等の貴重な住処となっており,淀川の多用な生態系を支えている.本橋はワンドを保護するために,ワンドに重なる斜張橋の端部に橋脚を建てず,岸辺から張り出したPC桁で斜張橋を支える構造が採用されたという.

 

ちなみに当地のワンドは,明治期に蒸気船を航行させるために造られたケレップ水制に由来する.これはファン・ドールンとデ・レーケの設計による日本最初のオランダ式水制工で,土木学会の「日本の近代土木遺産4 でAランクの土木遺産に認定されている.

 

色々な角度から観察する.

PC桁はグレー,斜張橋の鋼桁は青色に塗装されているので,切れ目がわかりやすい.

 

さて,橋を渡る.現代の橋らしく歩道が最初から付いており,公園内および堤防からスロープで進入できる.

片側2車線の車道の両側に歩道が沿う.さすがに現代らしいゆとりのある造りだ.

 

どの斜張橋にも言えることだが,この何本ものケーブルで吊ってます!みたいな明快な構造が気持ち良い.

 

斜張橋の端部の継ぎ目.この下で,PC桁 (右) と斜張橋の桁 (左) が突き合わされている.

 

高欄.

 

右岸側に渡って振返り.

 

斜張橋のこちら側の端部も,橋脚を建てることなくPC桁と突き合わせてある.その目的も左岸同様に自然保護である.付近には淀川の原植生であるヨシ原が広がっており,その保全が求められたという 3

 

継ぎ目の近景.

 

こちらのPC桁部は,斜張橋部分に比べて幅員が大きくなっている.これは有料道路時代に料金所が設置されていたためである.

 

無料化が比較的最近のことゆえ,道路風景の変遷がストリートビューによく記録されている.まずは有料時代の平成25年 (2013) 10月の橋上の景.

見ての通りの料金所である.大型車IIは360円,大型車Iは150円,普通車100円の料金表も見える.

 

無料化後の平成26年 (2014) 8月にはこうなる.

料金所の設備は残っているが,よく見ると「無料」の貼り紙がなされている.

 

そして,平成28年 (2016) 6月.

料金所設備は完全に撤去されている.その後現在に至るまで状況に変化はない.道路脇のフェンスに囲まれた遊休地だけが,有料道路時代を偲ぶよすがとなっている.

 

料金所跡地の先も引き続きPCラーメン桁が連なる.少し左にカーブした先で市道を跨ぎ (奥の赤信号のところ),高度を下げて地上道路に合流する.

 

橋とともに探訪も終了した.北詰から400mほどの「菅原二丁目」バス停から大阪シティバスで新大阪に抜けた.

参考文献

  1. 大阪市建設局 (1989) "有料道路 菅原城北大橋都市計画道路豊里矢田線)開通" 建設省広報「建設月報」,No. 482,pp. 99-100,建設広報協議会.
  2. 石岡英男,亀井正博,西川匡 (1989) "施工報告 ―菅原城北大橋― 5径間連続RCアーチ橋の施工" 橋梁,Vol. 25,No. 10,pp. 40-46,橋梁編纂会.
  3. 藤沢政夫,井下泰具,亀井正博 (1989) "菅原城北大橋・橋端ヒンジ部の設計―ヒンジを介して結合された鋼斜張橋とPCラーメン橋―" 橋梁と基礎,Vol. 23,No. 5,pp. 2-7,建設図書.
  4. 土木学会土木史研究委員会・編 (2007) 大阪府 - 日本の近代土木遺産,土木学会.

*1:現代でも,長大な橋を「カンチレバー工法」で架けることは一般的だが,あれはあくまでも「工法」であって,出来上がるのは連続桁などである.