交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

五條病院周辺の五新線遺構 (2021. 5. 4.)

下田橋からの帰り道,未成に終わった旧国鉄・五新線の遺構を見つけたので,バスまでの時間に少しだけ探索した.

導入

五新線は,奈良県の五條と和歌山県の新宮を結ぼうと計画された鉄道路線である.紆余曲折を経て着工されたが,モータリゼーションの進展や国鉄の財政難の影響を受け,工事は途中で断念された 1.その結果,現在は路盤,橋梁,隧道などの構造物が残されており,それらは「旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群」として土木学会選奨土木遺産に認定されている 2

 

私も五新線のことは存じていたが,端駈橋下田橋を訪れた今回の旅では,探索の予定はなかった.というのも,遺構が広範囲に点在しており,とても行きがけの駄賃では回り切れないからである.五條と新宮の間には深山幽谷たる紀伊山地が聳え,着工された五条駅から大塔町阪本まででも直線距離で15km以上ある.この後の予定もあったので,道中のバスから有名な五條市新町のアーチ橋遺構を遠目に眺めるだけにとどめるつもりだった.

 

さて,下田橋の探索を終えた私は,バス停に向かって歩いていた.来るときに降りた「霊安寺」には2時間後までバスが来ないので,700m北の「五條病院前」からバスに乗ることにしたのだった.既に2本の橋の探索を終え,少し疲れも覚えていたので,バス停のベンチで休憩しようと思っていた.しかし,五條病院までのその道中,明確な五新線の遺構を見つけてしまった.その時点でバスの時間まで約30分.探索しない手はなかった.

高架橋遺構

下田橋から国道168号を北に進む.車が主役の田舎らしく,交通量が多い割に歩道がない箇所も多い.そんな道を車に気を遣いながら歩いていたので最初は気付かなかったが,ふと道路脇の構造物に違和感を覚えて振り返ると,

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道路脇に立つ巨大なコンクリートの柱.紛れもない跨道橋の橋台と橋脚である.

 

違う角度から.

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後は橋桁を渡してレールを載せるだけという感じである.

 

そこから西を向くと,

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 質実剛健とした高架橋が,植生に覆われながらも凛として立っていた.

 

その先で,小さな川を渡る.

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高架橋の造り自体は特筆すべきものではない.昭和後期以降の建造物という印象 *1 で,似たような現役の高架橋はどこにでもある.しかしそれだけに,完成間近にして放棄された虚しさが強く感じられた.

 

高架橋はまだ続いているが,時間の都合上,追いかけるのはここまでとした.

路盤と跨線橋

最初の跨道橋遺構の付近には,こんな分岐があった.

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正面の坂を登った先が,跨道橋から続く五新線の路盤と同じ高さである.しかしもちろん,こんな急坂は線路敷ではない.

 

ここから南の五新線の路盤は,工事が凍結された後,バス専用道路として活用されていた時期があった.上の写真の坂道は,バスが国道から五新線の路盤にアプローチするための道路である.バス専用道を経由すれば,渋滞などで遅れることもなく,また一般車両とのすれ違いに気を遣う必要もない.しかし,過疎化の影響で利用者が減り続けたこと,並行する国道の改良によって専用道のアドバンテージが失われたこと,さらにこの先の隧道の劣化もあって,2014年に専用道経由のバスは全廃された 1

 

看板に一般通行禁止とは書いてあるけれど,フェンスは開いているし,地元の車は何台か登っていた.それにもはや列車はもちろん,バスも来ることはない.市有地とあるが,今日は祝日だから役所もお休みだろう.というわけで,少しだけ失礼した.

 

坂を登る途中で見つけた境界杭.

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廃線跡をめぐる人にはお馴染みの構造物である.「工」は旧工部省のマークで,国鉄や JR の敷地の境を示すものだ.ここが確かに鉄道用地 (ここはまだ路盤の手前のバス専用道だが) であったことがわかる.

 

坂の上には,バス専用道時代の看板が残っていた.

「一般車両の通行を禁止します」とある.しかし徒歩で入るなとは書いていない.通行を阻むものもないので失礼させていただいた.

 

バス専用道区間の入り口.

黄色のポールは古レールと思われる.いかにも鉄道遺構らしい.

 

先へ進む.この辺りは切通しになっているようだ.

 舗装されているが,この鉄道らしい緩やかなカーブはまことに好ましい.

 

上の写真の左奥に写っている赤い袋には「粒状有機配合柿ペレット」と書かれていた.肥料のようだが,中身はわからない.

時間がなかったのでよく確認しなかったが,土嚢のようにして陥没を埋めているのかもしれない.

 

ともかく先に進むと,突然アーチ型の構造物が姿を表した.

 跨線橋である.無機質なコンクリート造りだが,よく見るボックスカルバートではなくアーチ型になっているのは好ましい.

 

跨線橋の先で,これまで歩いてきた路を振り返る.

アーチ型と鉄道らしい緩やかな曲線が組み合わさった,素晴らしい廃景だった.

 

切通しの路盤はまだまだ先に続いている.

しかし時間の都合上,今回はここで探索を終了した.

 

余談だが,この先のわずかな区間では,執筆時点でストリートビューが存在する.

ズームすると奥にアーチが見えるが,これが上でレポートした跨道橋である.おそらくGoogleカーは南側の交差点から間違えて進入し,「市有地につき一般通行禁止」の看板を見て引き返したのだろう.それでもその画像が公開されてしまっているのが面白い.

 

五新線には他にも多数の遺構があるので,いつか巡ってみたい. 

参考文献

  1. 五條市総務部管財課 (2019) "旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群が選奨土木遺産に決定/五條市" 2021年5月31日閲覧.
  2. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2016) "旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群 | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年5月31日閲覧.

*1:工事が凍結されたのは1982年 (昭和57年) 1 とのことだ.