奈良県五條市西吉野町.険しい山越えに挑む旧国道の,2本の古橋を訪ねた.
目次
はじめに
国道168号は,大阪府枚方市から奈良県北西部を経て五條市に入り,温泉や吊橋で知られる十津川村,和歌山県に入って熊野本宮大社のある旧本宮町 (現・田辺市本宮町) を経て太平洋に面した新宮市に至る,総計187.9kmの国道である *1.
このうち五條~十津川~本宮の,近世以前から熊野詣に利用されてきた西熊野街道に由来する区間については,急峻かつ広大な紀伊山地を縦断するという難しさの一方で,五條市南部や十津川村,旧本宮町にとっては市街地へアクセスする唯一の幹線道路として重要で,近代以降,徐々に道路の改良が進みつつある.最初の改修は明治43年 (1910年) 頃に着工し,計画から大幅に遅れたものの大正11年 (1922年) には天辻隧道 (次々回レポートする) を開鑿した 1.また,戦後は自動車の普及に伴って線形や勾配,幅員が改良されてきたほか,並行する熊野川にダムが建設されたことによる道路付け替えも実施された.さらに最近は自然災害に頑強な高規格道路として,総延長130kmの長大バイパス・五條新宮道路が計画され,平成以降断続的に部分開通している 2.
こうした改修の積み重ねの結果,西熊野街道には多様な世代の「旧道」が存在する.このうち,五條市霊安寺町の (旧) 下田橋については以前レポートしたが,今回はさらに南の,五條市西吉野町から辻堂にかけての区間に焦点を当て,旧道に残る隧道や橋梁を探索した.本記事から6回に渡って,連載と言うほど大層なものでもないが,それらを北から順にレポートしてゆく.
立川渡橋
晴天に恵まれたこの日,奈良市内のカーシェアステーションで車を借りた.いつも通り奈良バイパスから京奈和道と進み五條ICで流出,国道168号 (西熊野街道) に入った.休日ということもあって奈良市内からずっと混んでいたが,五條市街地は特に酷かった.しかし渋滞でノロノロ進んでいたおかげで,以前訪れた下田橋の旧橋についても目視で観測することができた.さすがに運転中だから写真は撮れなかったが,2ヶ月前と変わらない姿に安堵するとともに,堂々とした佇まいに改めて感服した.
市街地を抜け,いくつかのトンネルを通って山間部に入る.トンネルを見たら脇を探せ,というのはこの趣味における鉄則だが,ここまで来るのが予想以上に遅くなったため,スルーせざるを得なかった.特に「西吉野トンネル」の旧道には気になる橋があるので,またそのうち,五新線の遺構をめぐる時にでもチェックしてこようと思う.
下田橋から南下すること12km.有名な五新線遺構である方丈ラーメンの宗川橋梁の袂で,旧道が現道から分岐する.西吉野町西野を経由してキビキビと標高を上げ,最終的に「西野トンネル」となる現道に対し,旧道は西吉野町立川渡の集落に入り,そこから急坂を登って西野トンネル南口に合流する.もちろん私は旧道に入った.
1.5kmほど進んだところで集落の切れ目となる.旧道は右に折れ,宗川の対岸に渡る.そこに架かるのが本節でレポートする立川渡橋だ.
幅員はそれなりだが,背の低いコンクリートの高欄は明らかに昭和初期以前のもの.
対岸の向かって左側には,先人の記録やストリートビューでは消防団の倉庫か何かが建っていたのだが,探索日時点では更地になっていた.少々お邪魔させていただくと,間近で本橋を眺めることができた.
構造的には平凡な鉄筋コンクリートのT桁橋だが,鋼材による補強の跡が凄まじい.桁裏にはH鋼の横桁とその下に縦桁,そしてそれらを井桁状に組んだ鋼材が支えている.いわばRC橋を支えるための鋼橋が組まれているわけだ.RC桁の側面にも鋼材が貼り付けてある.それらの補強材も相当に錆びており,正直に言って,RCの桁よりも補強材の方がよっぽど早く朽ちてしまいそうだ.ここはかつてこの地域唯一の幹線道路だったはずだから,大型車の通行に耐えるようにするための補強だったのではないかと思う.
高欄.
四角形の窓を連ねた意匠.シンプルだが,この古色がまことに好ましい.
親柱.
車がぶつかった跡なのか,端部が削れていた.陰になっているが,銘板は失われていた.他の3本も同様で,現地で得られる文字情報は皆無だった.
ただし,私が (旧) 下田橋の存在を知るきっかけともなった五條市議の資料 3 や議会での発言 4 によると,名称は「立川渡橋」,供用開始は昭和13年 (1938年) とされる.そのソースは明記されていないのだが (市か県の台帳だろうか),少なくとも名前・供用開始時期ともに納得はゆく.
最後に遠景.
傍から見ると満身創痍のようにも思える本橋だが,特に通行規制もなく,立川渡の集落から大塔・十津川方面に向かう道として現役で利用されている.「お元気で」と呟いて,私も車に乗ったまま本橋を渡って旧道を進んだ.
大滝橋
立川渡橋を過ぎるととたちまち山道となった.険しい登り坂が続くが,それでも勾配を緩和するために大きなヘアピンカーブを描いていたりもする.低速ギアでゆっくりと進んだ.
立川渡橋を出てから約1km.
先ほどまでは岩盤や石垣の擁壁だった右側の法面が滝となる.唐突に現れる印象的な光景で,先行車のドライバーも車を停めて写真を撮っていた.
そして,その滝から落ちた水の流れを,旧国道は橋で跨いでいる.
「日本の廃道」5 によると,名称は「大滝橋」.竣工時期は不明だが,「奈良県の近代化遺産」1 は「戦前か」としており,私も同意見である.単径間のRC桁橋で,立川渡橋と同様に鋼材で補強されている.
親柱は全て失われていた (もともとなかった可能性もある).高欄は,
こちらもシンプルながら,矩形にスリットが入った意匠が施されている.舗装によって半ば埋まっているのが残念だ.
そして,谷と反対側を向くと,
橋名の由来になったであろう滝.真夏のこの日には,水しぶきが気持ち良かった.
その後も登り続けて現道の西野トンネル南口で合流した.勾配は険しくハンドル操作も忙しい線形だったが,そこには確かに道としての古色が感じられた.この旧道が車道として改修されたのは大正期のことだという 1.
現道に合流した後は,天険たる天辻峠 (隧道) に挑むべく,さらに高度を上げてゆく.次回はその途中,西吉野町永谷で見つけた旧橋をレポートする.