導入
忍者で有名な伊賀上野から東へ5km.柘植川南岸沿いの伊賀市佐那具町は,近世以前から大和街道の宿場町として発展した 1.明治30年 (1897) に関西鉄道 (現在のJR関西本線) が開通すると「佐那具駅」が設けられたが,線路は柘植川北岸,現在の伊賀市外山地区に敷かれており,佐那具在所へは柘植川の渡河が必要であった.
三重県道676号寺田佐那具停車場線の新橋はそのための橋のひとつであり,佐那具駅と佐那具在所を直接結んでいる.
場所: [34.799964,136.164611] (世界測地系).
2021年9月10日と2023年3月23日,現地を訪ねた.二度訪ねたのは最初の探訪時,右岸 (駅側) で川べりに降りて観察することを忘れていたためだ.再訪までに1年半が経過していたが,橋の様子に変化がなかったのは幸いだった.以下では2日間の写真を区別せずに載せる.草木の茂り具合等がまちまちなのはそのためだ.
探訪
佐那具駅の古い木造駅舎を後にして,駅前を通る県道676号を左へ.短い坂を下った先が新橋の北詰である.駅を出てから2分も経っていない.
北詰からの景.堂々とした親柱が門番のように立っていて雰囲気が良い.
左側の親柱.御影石製の立派で瀟洒な柱.下部には「新橋」の銘板が掲げられ,上部には何かを取り付ける穴が数個設けられている.照明か装飾の跡だろうか.できれば (雰囲気を損ねずに) 復元されると良いなと思う.
同じ親柱を路面側から見ると,わかりにくいが「柘植川」と彫り刻んである.
続いて右側の親柱.こちらには「しんばし」の銘板.
路面側には,こちらもわかりにくいが「昭和二十五年十一月架■」(架設または架換?) と刻まれている.
右岸下流側から見る新橋,昭和25年 (1950) 竣工.多連のRC単純桁が一直線で対岸に渡る.
上の写真を撮った位置の右後ろから土手を歩いて川べり (護岸の上) に降りることができた.写真は土手からの全景.
護岸からの景.これらは再訪時の写真だが,この角度が一番良い視点場だと思う.再訪して正解だった.
本橋の重要な特徴のひとつである高欄.アーチ型の窓を連ねる意匠は典型的ではあるが,それだけでなく細やかな装飾が施されている.よくぞこの優れた高欄をそのまま残しておいてくれたものだ.
橋脚にもアーチ窓が開いている.
こんな撮り方で遊ぶこともできる.
上流側.
少し戻ると,下流側の川の中から鋼材が2本飛び出ている.
これ,今はこのような姿だが,2011年頃まではもっと背が高かった.ストリートビューでその様子を見ることができる.
見下ろす角度なので正確な高さはわからないが,今の新橋より少し低いくらいの高さにみえる.何の遺構だろう?橋脚としてはちょっと頼りなさげに見えるが….
来た道を引き返して橋の上へ.
橋上の景.
道が狭い割に交通量が多かったので撮れなかったが,南詰にも北詰と同じ形状・同じ銘板・同じ刻字の親柱が残っていた.
桁裏.
土手からの景.この古色がたまらない.
考察
まずは古地図との比較をしてみる.
この図は今昔マップより作成.左が昭和12年 (1937) 測量,右が最新の地形図である.現在の新橋とほぼ同じ位置に橋が描かれており,先代の橋があったことがわかる.また,この時代は橋の地図記号が「鉄橋」や「木橋」等で区別されていたが,当時の新橋は木橋の記号となっている.
実は初代の新橋は大正3年 (1914) に架けられている 1.当時の路線名は県道上野寺庄線,つまり伊賀上野の市街地と滋賀県甲賀の寺庄を結ぶ道路の一部として施工されている.ただ,これが昭和12年の地形図に描かれた橋そのものなのか,それとも昭和12年以前に架け換えられているのかはわからない.
次に,もうひとつ古い版とも比較してみよう.
こちらも今昔マップより作成.左は明治25年 (1892) 測量,右は最新の地形図である.後者について,測量時点では関西鉄道は未開業だったはずだが,発行が開業後であるためか既に描かれている.
当然ながら,この地図に新橋は描かれていない.それどころか,現在の県道筋である線路南側の道もない.つまり,開業当初の佐那具駅の入口は線路の北側にあり,柘植川南岸との行き来には東側の佐那具橋,あるいは西側の外山橋への迂回が必要となっていたと考えられる.
これは佐那具駅南側に建つ駅舎 (この写真) に掲げられた財産標で,「大正3年8月」とある.駅舎に直結するホーム上屋の財産標にも同じ年月が記載されていた.断言はできないが,大正3年 (1914) 8月に現駅舎が新設され,駅の入口が南側に変更されたとみられる.
前述のように,初代の新橋が架けられたのも大正3年である.従って,佐那具駅の改築によって南口が整備されたのと同時に,南口に通じる「新しい橋」,すなわち初代・新橋が架けられた,というストーリーが考えられる.
現在の新橋は昭和25年に架けられ,現在に至るまで70年以上利用されている.架橋3年後の昭和28年,集中豪雨 (南山城水害 / 東近畿大水害) と13号台風 (テス台風) が猛威を振るい,市内全域で合計149橋流出の記録が残る 2が,RC造りの本橋は見事に耐えている.