交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

八七瀬橋 (2022. 4. 10.)

京都府和束町 (旧湯船村).和束川の清流を跨ぐRCローゼ橋.

 

京都府南部の加茂で国道163号と別れた京都府道5号木津信楽線は,木津川支流の和束川沿いに東進し,茶所として知られる和束町を経て滋賀県信楽に向かう.八七瀬橋は,和束町東部の旧湯船村域で府道が和束川の右岸から左岸に渡る橋であり,加茂側から数えて5回目 (湯船バイパス開通前は3回目) の渡河となる.

場所: [34.83145, 135.94945] (世界測地系).

 

2022年4月10日,現地を訪ねた.

八七瀬橋から300mほど西,最近開通した湯船バイパス沿いの広い路肩にレンタカーを駐め,歩いて向かった.

 

バイパス区間が終わるとこのくらいの幅員に.

 

見えてきた.

 

西詰 (右岸) からみる八七瀬橋.京都府南部では他に例のない (と思う) RCローゼ橋.

 

親柱には「八七瀬橋」「和束川」.

 

 

渡って東詰 (左岸) から.

 

親柱には「やなせばし」そして「昭和三十五年一月竣工」.

 

昭和35年 (1960) の竣工だが,遅くとも昭和7年 (1932) の地形図では既にほぼ同じ位置に橋が描かれている (そもそもこの道は歴史が古く,奈良時代恭仁京紫香楽宮を結ぶ官道がその端緒であるという 1).つまり昭和35年の架橋は新設というより,旧橋からの架換えだった.旧橋は昭和28年 (1953) の南山城水害あるいは台風第13号 (テス台風) で損傷したものと思われる.相楽郡誌「私たちの相楽郡1 はこの府道について

一九五三年(昭和二八)八月の未曽有の大水害、いわゆる南山城水害、続いて同年九月の十三号台風は、この道路を傷つけられない箇所がない程に破壊し、和束谷一帯は一時全く外部との連絡が絶たれ、… (中略) …その後国庫の莫大な補助と、復旧への強い町民の熱意によって、復旧の難工事も着々と進行し、以前の木橋に変って、すべて近代的な鉄筋コンクリート橋に改められ、… (以下略)

と記している.

 

 

高欄は鉄パイプを渡しただけの簡素なものだが,開通当時のものと思われる.

 

本橋は道路上からはすっきり眺めることが難しい.右岸側には道路があるが,管路橋に遮られる.そこで河原まで降りることにした.幸い左岸の少し先にガードレールの切れ目があり,そこから緩い斜面で下ることができた.たぶんこの河川敷で畑をしている人がいたのだろう.

踏み抜いたら嫌だな,と思いながらザクザクと歩く.

 

橋の下まで着いた.

 

桁裏.3本の主桁と横桁が床版を支える.全面的に鋼板で補強されており,経年なりの老朽化が進んでいることが窺える.

 

そのまま下流側に歩き,振り返る.

和束川を優美な曲線で一跨ぎ.これなら増水しても流される心配はなさそうだ.

参考文献

  1. 相楽郡連合校長会・編 (1959) "私たちの相楽郡" pp. 208-211,相楽郡誌刊行会.