交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

国道1号 鈴鹿峠旧道 (2021. 5. 25.)

国道1号の難所,鈴鹿峠.道路改良の歴史を物語る,魅力的な旧道群を探索した.

目次

カーブの外に

鈴鹿隧道を後にして,伊勢坂下に向かって歩道を下る.かつての道路は隧道直後に右に急カーブしており,今もその痕跡は残っている.

ただ,どうも旧道化した後に休憩用の広場として開放されていた時期があったようで,航空写真からもわかるほど改変が著しい.それに鈴鹿隧道での負傷に気を取られていたこともあり,探索せずにスルーしてしまった.

 

さて,その旧道は,ここで現道と交差する.

このビューは現道からのもので,右から旧道が流入している.やや急な角度での合流だが,あり得ないほどの角度ではないだろう.

 

しかし実際は,旧道はここで終わりではなかった.左側の歩道から崖側を望むと,

そこには本来の姿のまま廃化した,旧国道の姿があった.苔に覆われた路面と古びたカーラジオの看板が良い味を出している.

 

その先に目をやると,

巨大なコンクリート塊が凛として立っている.無骨な造形だが,急カーブを曲がりきれない車を抑え込むための,道路管理者の願いが込められた構造物である.

 

その先で,旧道は今度こそ現道に合流していた.歩道の崖側の柵は私の胸くらいの高さで,越えようと思えば越えられたが,鈴鹿隧道の探索で負傷した両腕が痛んでいたため,今回はやめておいた.

幕間 道路の風景

上り線の歩道を先へ進む.途中数か所かで見つけたのが,

いわゆる道路情報板の一種だと思うが,このように透明な蓋がついた箱型のものを,他所では見たことがない.三重県,あるいは中部地方建設局の独自の構造物だったりするのだろうか.外観からしてそれなりに古いものだと思われるが,希少性は私にはわからない.

 

その先で,隧道以前の峠道と合流した.そこでまた,道標を兼ねた常夜灯を見つけた.

私の興味は主に近代以降の交通遺産だから,こういったものは射程範囲外ではあるが,それでも交通の歴史が感じられるので好ましい.「?」の部分を解読できる方がおられましたら,ぜひご指摘ください.

 

前方に目をやると,

地形に沿って蛇行しながら高度を下げていく旧来の道路と,そのはるか頭上を直線で駆け抜ける新道の両方を,一度に眺めることができた.この景色もまた,道路改良の歴史を物語っている.

(旧) 第一鈴鹿

上の地点から700mほど進むと,道は鈴鹿川と交差する.一気に鋭角に曲がる急カーブで,しかも長い下り坂の途中だから,ドライバーとしては気の抜けない区間である.しかしここで路外に注意を向けると,今回の探索のメインに据えた旧道がある.

航空写真で見ると旧道はわかりやすい.ピンのある位置が現道,その西側の「C」型の道路が旧道である.旧道から分岐して西に延びていく道も見えるが,これは上下線を連絡する道路となっている.

接近

現道に橋があるということは,旧道にももちろん橋がある.現道からカーブの外側に目をやると,

真っ黒な高欄の旧橋が,どっしりと佇んでいた.

 

現道の橋を過ぎたところで,車に気をつけながら道路を横断し,旧道に入る.上下線の連絡路の部分から分岐する先を見ると,

簡易なAバリケードが設置されている.その先,橋の直前には別のバリケードがあった.

この二重の封鎖がどういう意味を持つのかはわからない.確かなことは,この先が廃道・廃橋ということだけだ.

 

それにしても,驚きの幅員である.

これは2車線どころではない.正確に測ってはいないが,航空写真から概算すると14m〜15mもある.ということは,4車線でも通用するほどの幅員である.ただし付近に4車線区間の痕跡は認められなかったから,実際には前後の直角カーブを考慮した幅広の2車線道路だったと思われる.いずれにしても,それほどの高規格道路が,バリケードで封鎖されて廃道となっている.

橋上

廃橋に足を踏み入れると,

私の大好きな,無骨なコンクリートの高欄である.

 

本橋の親柱は4本とも残存しており,それぞれに情報量が多い.まずは,名前から.

「第一鈴鹿橋」「第一すゞかはし」.現道の橋も同名だった.

 

次に竣工時期は,

「大正拾五年七月」と思われる.草に隠れた部分は「架設」だった.鈴鹿隧道竣工の2年後であり,おそらく同じ事業で架けられたものだろう.

 

そして,残る1本の親柱には,

これまた興味深い「昭和三十一年三月改良」である.国道1号とはいえ,大正15年当時からこの幅員とは考えづらいから,この改良事業の中に拡幅が含まれていたことは間違いないだろう.

 

親柱の手前には袖高欄.

こちらはアーチを連ねた意匠となっている.

 

さて,橋上ではもう一つ,重要な発見があった.

念のため業者名と個人名は隠したが,なんとこの旧橋,平成29年 (2017年) に点検が実施されている.つまり,管理放棄されているわけではないのだ.思い出してみれば,橋を塞ぐバリケードは,容易に動かせるものだった.おそらく現道の鈴鹿第一橋のバックアップとして,いつでも現役復帰できるように最低限の整備はなされているのだろう.改良されたとはいえ,現道も急カーブには変わりないから,事故で交通が遮断される事態は容易に想像がつく.

遠景

橋を過ぎ,先に進んで振り返る.

時期ゆえに全景は見渡せないが,小規模ながらも重厚な橋の姿が見えた.

 

さらに進むと,ほどなく現道との合流点が見えてきた.

センターラインの残る,素晴らしい廃道風景である.

 

振り返る.

第二鈴鹿橋 (側道橋)

現道に復帰し,ひたすら坂を下る.しばらくすると,再び鈴鹿川と交差する.そこには第二鈴鹿橋という橋が架かっている.

 

第二鈴鹿橋は,車道橋と歩道橋が分離している.こういう状況で典型的なパターンは,車道の橋を架け替える際,旧橋を人道橋として残したというものだ.しかし,第二鈴鹿橋の歩道橋の姿は,

第一鈴鹿橋の立派な姿を見た後だと,どうも単なる旧橋とは思えない.橋自体が新しく見えるし,道幅も1車線幅しかない.しかし歩道としては広いから,車両通行を意図していることは間違いない.

 

歩道橋の銘板からは,

「第二鈴鹿橋」という名前以外の情報は得られなかった.しかし,ここにも橋梁点検履歴が貼り付けてあり,

めくれているが,「第2鈴鹿橋側道橋」として管理されていることがわかる.断定はできないが,「歩道橋」ではなく「側道橋」であるところからして,単なる歩道ではないことが感じられる.

 

写真は撮らなかったのだが,この前後の歩道はやけに幅広で,車道から出入りできる開口部も見受けられた.そこもまた,歩道というより側道という印象を受けた.ここでまた私見を述べさせてもらうと,この歩道は,初代・鈴鹿隧道や初代・第一鈴鹿橋ができた頃 (大正末期) の道路ではないだろうか.そして第二鈴鹿橋については,後年に幅員を保った上で架け替えたのではないか.その目的はおそらく, (旧) 第一鈴鹿橋と同様に本線のバックアップで,普段は歩道として活用しつつ,緊急時には車両が通行できるようにしているのだと思う.

 

(2021. 11. 19. 追記)

全国Q地図 (道路管理者の台帳ベースの情報) によると,第2鈴鹿橋側道橋の竣工は昭和61年 (1986年) だそうだ.外観からの印象にも一致する.やはり (旧) 第一鈴鹿橋と同世代の橋ではなく,後年の作だった.

坂下集落への旧道

滋賀県甲賀市熊野神社から始まった徒歩進軍も,まもなくゴールとなる.最後の旧道は,第二鈴鹿橋から600mほど進んだところから分岐する.ここから先の旧道は,坂下の集落へ続く生活道路として現役である.

 

旧道に入ってすぐに見つけたのが,

消えかけだが,これは「40高中」に違いない.道路の速度制限が高速車・中速車・低速車の区分に分かれていた時代の標示で,マニアも多いという.区分が廃止されてからは全国で姿を消しつつあり,私も実物を見るのは初めてだった.

 

先へ進むと,久方ぶりに民家が見えてきた.坂下の集落に入ったらしい.木造の古い家が多く,旧街道の雰囲気がある.しかし平日の昼間だったせいか,人っ子一人おらず静まり返っていた.誰かいれば,鈴鹿隧道での愚かな失敗によって負傷した両腕を手当するため,近くに薬局などないか訪ねようと思っていたのだが.ただし自販機は見つかったので,傷口の洗浄用にミネラルウォーターを購入した.

 

伊勢坂下のバス停の直前で,旧道は小さな川を渡る.そこに架かった橋を横から見てみると,

おお,美しい.高欄のグレーと桁の緑が素晴らしい取り合わせである.橋桁の規則的なリベットの突起も好ましい.

 

親柱には,橋の名前が刻まれていた.

中乃橋というそうだ.残る2本の親柱の銘板も同じで,竣工時期はわからなかったが,私の印象では昭和中期頃ではないかと思う.

 

(2021. 12. 8. 追記)

全国Q地図 (道路管理者の台帳ベースの情報) によると竣工は昭和25年 (1950年).

おわりに

伊勢坂下のバス停に着いたのは,バスの発車する20分前だった.これを逃すと次は3時間後までない.4kmの道のりに3時間をかけるという,私にしては余裕の多いスケジュールだったが,鈴鹿隧道でのトラブルもあったため,結果的にはちょうどよい時間となった.

 

今度来るときは,植生の大人しい冬場が良い.第一鈴鹿橋の全景も視界に収めることができるだろう.それに雪景色も見られるかもしれない.それから,今回は探索しなかった峠越えの道も辿ってみたい.国道1号の西の難所・鈴鹿峠は,道路を愛する者にとって,見どころの尽きない名所だった.