交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

賀茂大橋 (2021. 8. 7.)

京都市左京区,鴨川デルタに架かる元・鋼ゲルバー橋を訪ねた.

 

京都市民の憩いの場として,また観光地として親しまれる鴨川には,近代に架けられた土木史上重要な橋がいくつも残されている.このうち,鴨川と高野川が合流する地点,通称「鴨川デルタ」の付近に架かるのが賀茂大橋だ.

 

賀茂大橋は,大正8年 (1919年) 公布の都市計画法に基づく京都市の都市計画事業の一環で,昭和6年 (1931年) 5月に架けられた 1.2本の川の合流点付近という立地ゆえ,鴨川に架かる道路橋としては最長で,ゲルバー (カンチレバー) プレートガーダーによる鉄の橋であった 1.架設後は80年以上にわたって交通を支え続けてきたが,寄る年波には勝てず,平成27年 (2015年) 10月から令和3年 (2021年) 2月まで,5年以上をかけて補修工事が施された 2.工事の内容はWebでも公開されているが,自身の目でも補修後の姿を見てみたいと思い,この日見物に訪れた.

 

京阪電車の終点出町柳駅で下車し,地上に出るとすぐ本橋である.まずは駅のある左岸側からの景.

賀茂大橋昭和6年 (1931年) 竣工,令和3年 (2021年) 補修,近代土木遺産Cランク 3

 

まずは橋上から見ていこう.とりわけ目を引かれるのが,

綺麗に磨かれた御影石製の高欄.「和風」の一言で片付けるのがもったいないほど風情がある.橋脚上に建てられた中柱も良い.

 

この高欄は補修工事の際,法令に合わせて嵩上げされたそうだ 2.高欄は橋を渡る人々の目に最も触れる部分,言わば橋の「顔」であり,特に気を配って修景がなされたものと思われる.もし,最近の橋にありがちなアルミ製の量産型欄干に置き換えたりしていれば,通行人に与える印象はずいぶん違うものになっていたはずだ.

 

親柱.

灯籠を思わせる大きな石柱に「賀茂大橋」「かもおほはし」の題額.写真は左岸側だが,対岸も同様だった.

 

続いて川原に下り,桁を見てみる.まずは左岸上流から.

鈑桁の描く軽快な曲線はいかにもゲルバー橋だが,ゲルバー橋には必須のヒンジ部,すなわち桁の「継ぎ目」は確認できない.

 

反対の下流側.

こちらも同様.橋脚から張り出した桁が別の桁を支えるというゲルバー構造は視認できない.

 

桁の近景.

よく見ると,本来ゲルバーヒンジによって接続されるべき桁同士の間が,鋼板で埋められている.その部分だけボルトなので,明らかに後補である.

 

実はこれも,平成・令和の補修の結果である.ゲルバー構造でスパンを稼ぐ時代はとうの昔に過ぎ去っており,むしろ最近は,ヒンジ部が構造上の弱点となることが問題視されやすい.そこで本橋は,ヒンジを撤去した上で,桁同士を鋼板で繋ぐことで連続桁橋に改造された 4.ゲルバー橋が好きな私にとっては残念ではあるものの,それでも特徴的な外観が大きく損なわれていないことは注目に値する.

 

桁裏.

びっしりリベットが打たれた主桁が,ところどころ補修を受けながらも現役で働いている.支承は交換されたものらしく,全てボルトで固定されていた.

 

なお「京都市の近代化遺産」1 には,上部工を請け負った大阪鉄工所や下部工事に携わった増田組の名を刻んだ銘板があると記されているが,見つけられなかった.失われたのだとすれば残念だ.

 

最後に右岸側からの景.

軽やかな鉄の桁に日本調の美しい高欄が載るという和洋折衷の景観が,補修を経てなお維持されている.近代日本の技術を今に伝えるだけでなく,改修・修景の方法も模範的な,素晴らしい土木遺産だと思う.

 

これにて探索を終えた.七条大橋に続く.

参考文献

  1. 京都市文化市民局文化財保護課・編 (2005) "京都市の近代化遺産:京都市近代化遺産(建造物等)調査報告書" 産業遺産編,p. 31,京都市文化市民局文化財保護課.
  2. 京都市建設局土木管理部橋りょう健全推進課 (2021) "【広報資料】賀茂大橋補修工事の完成について" 2022年1月27日閲覧.
  3. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 176-177,土木学会.
  4. 井手迫瑞樹 (2016) "京都市 2860橋、19トンネルを管理|道路構造物ジャーナルNET" 2022年1月27日閲覧.