交通遺産をめぐる

関西を中心に隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

高知県道266号角茂谷停車場線 平和橋 (2022. 7. 23.)

高知県大豊町,旧天坪村域.穴内川に架かるポニートラス橋.

 

高知市から北東に40km,土佐山田町から大豊町に入った少し先で,一級河川吉野川水系の穴内川を渡る橋.土讃線の駅のある角茂谷地区と,国道32号の通る馬瀬地区を結んでいる.場所は [33.69714924677116, 133.69064810968428] (世界測地系).

 

探訪

レンタカーで香美市大豊町南部をめぐっていたこの日,最後に訪ねたのが平和橋だった.国道32号から馬瀬郵便局の交差点で脇道に入り,最初の角を左折.すぐに目指す平和橋で,いったん角茂谷側に渡り,100mほど先の道幅が広くなっている場所に駐車した.

 

平和橋昭和5年 (1930) 竣工,鋼ポニーボウストリングトラス橋,延長50.3m,幅員4.2m,近代土木遺産Cランク 1, 2

 

角茂谷側からの景.背の低いポニートラスが可愛らしい.右側の石碑は橋とは関係のないものだった.

 

コンクリート製の装飾的な親柱には「へいわはし」「昭和五年九月」の文字を刻む.

 

向かって左 (上流) 側の弦材に銘板があった.

昭和五年八月
高   知
西田鉄工所製作

 

主径間に架かるトラスの近景.比較的珍しい変形ワーレントラスで,「\/」の間には鉛直材が入っているが,「/\」の間には入っていない.つまり通常「/|\|/|\」と並ぶところが,「/\|/\」となっている.規模や構造は異なるが,信貴山の開運橋 (昭和6年),奈良県下北山村の池郷橋 (昭和7年),釜石製鉄所の中島橋 (昭和12年) などが同時期の変形ワーレントラス橋として挙げられる (他にもあると思われる).

 

馬瀬側からの振返り.昭和5年だからもちろんリベット結合だ.びっしりと並ぶ鋲頭が心地よい.

 

馬瀬側は下流の弦材に銘板.当たり前だが対岸のものと同じ内容を刻む.

 

馬瀬側の親柱.「平和橋」「昭和五年九月」.

 

こちら側では橋の下に降りることができた.

橋台.苔やツタに覆われていてわかりにくいが石積みのようだ.旧橋のものを再利用している可能性がある.

 

橋脚はRC製.

 

側径間は上路のIビーム桁.銘板は見付けられなかった.なぜかフランジが二重になっている.その部分にはボルトが使われているので,後年の補強だろうか.

 

トラス部分の桁裏.

 

下から見るトラス.

 

これ以上進めなくなったので引き返す.橋の周囲は切り立った崖の上に民家が並んでいたり木々が茂っていたりで,視点場に乏しい.そこでいったん国道まで戻り,離れた位置から眺めることにした.

国道からの景.緑の山を背景に鮮やかなトラスが映える.

 

こうして見るとかなり扁平な形のトラスだ.また,鉛直材が1本おきに配されているのもよくわかる.

 

橋に戻ると,にゃんこがくつろいでいた.

 

あう…逃げられた….

 

角茂谷側に戻ったところで,下流側に分かれる道が気になった.地図を見ると地区の墓地か何かに通じる道のようだったが,少し奥に石碑が建っているのが見えていた.もしかすると橋に関するものかもしれないと思い,帰りの時間を気にしながら駆け足で近づいてみた.

 

はたして,石碑の内容は橋に大いに関係するものであった.

記念碑

吾ガ佐藤精郎氏ハ明治五年角茂谷ニ生レ同丗四年渡米奮闘シテ居ラルルガ其ノ愛郷心ハ常ニ燃ユルガ如ク同丗九年一度帰郷サルルニ當リ小學校ニ各種備品ヲ寄附セラレ更ニ千金ヲ投ジテ縣下ニ初メテノ鉄線吊橋平和橋ヲ架設シ以テ村治ノ圓満平和ト交通ノ利便トヲ計ラレタ
茲ニ氏ノ恩徳■■■ヲ記念セシガ為ニコノ碑ヲ建テタノデアル

大正十二年五月建之

(■は読み取れず)

 

明治5年 (1872) に角茂谷に生まれ,34年から渡米していた佐藤精郎氏が,39年に帰国した際,県下初めての鉄線吊橋・平和橋を架設したという.もちろん現在の平和橋ではなく,先代の旧橋である.その頃から橋名が「平和橋」であったこともわかる.

 

現地探訪は以上.車に戻り,家路につくため高知空港へ急いだ.

机上調査

帰宅後に調べてみると,「大豊町史」3 に,現地の石碑を補足する内容が記されていた.素晴らしいことに,大豊町は町史のPDFをWebで公開してくれている.しかもNDLのデジタル資料等と違って文書形式なので,キーワード検索も可能である.これほど親切な自治体は珍しい.

 

町史曰く,明治32年 (1899) 11月,当時の天坪村は角茂谷峰,本村,戸手野,馬瀬などの小学校・分教場を統合し,戸手野古味に「天坪尋常小学校」を新設した.しかし村を縦断する穴内川の両岸の学校を一ヶ所にまとめたために,対岸に住む児童は,川を渡って登校しなければならなくなった.当時,穴内川に橋はひとつも架かっておらず,「南トーローの渕」なる場所に渡し船があるだけだった.結果として,出水時や厳寒の頃は,対岸児童の出席率が極めて低くなり,両岸間の村民感情にも確執を生じさせたという.

 

角茂谷出身の佐藤精郎は,明治34年 (1901) からアメリカ・サンフランシスコで農場を経営していたが,38年12月に一度帰郷した.この際,愛郷心の強い佐藤は角茂谷・馬瀬間に橋を架けることを提案し,自ら設計書を作るとともに金一千円を寄付した.佐藤の提案は村民に賛同をもって受け入れられ,明治39年 (1906) 1月,天坪小学校の全児童も出席した上で起工式が行われている.佐藤の篤志に心を打たれた村民は両岸の橋台工事を奉仕でおこなったりもしたという.工事は着々と進み,同年5月12日,天坪小学校にて落成式が挙行されている.

 

完成した橋は延長24間2尺 (≈44.3m),幅員7尺5寸 (≈2.27m) の鉄線吊橋であった.「平和橋」の名は,日露戦争が終わった時代を反映して付けられたとされるが,両岸住民同士の円満融和を望むものでもあったのだろう.橋の開通によって小学校の出席率は天候に関わらず格段に良くなり,教育の向上にも貢献したという.

 

24年後の昭和5年 (1930),平和橋は老朽化のために架換えられることとなり,現在の橋が完成している.

参考文献

  1. 土木学会土木史研究委員会 (2007) "高知県 - 日本の近代土木遺産" 2022年10月17日閲覧.
  2. 国土交通省四国地方整備局 (2019) "高知県橋梁点検結果" 2022年10月17日閲覧.
  3. 大豊町史編纂委員会・編 (1987) "大豊町史" 近代現代編,pp. 634-635 / 926-927,大豊町教育委員会,2022年10月17日閲覧.