和歌山県広川の河口に架かる戦前製のRC橋.
和歌山県白馬山脈を源流とする広川は,コの字型の湾内にある湯浅広港で紀伊水道に注ぐ.その最下流部に架かる橋が広橋だ.橋の北側は醤油発祥の地とされる湯浅町の市街地で,南側は町役場のある広川町 (旧・広村→広町) の中心地.
広橋の歴史は古く,その創架は慶長6年 (1601) の広川の流路変更にまで遡る.当時の橋は延長30間 (≈54.5m)、幅員2間 (3.6m) の木橋,熊野街道 (熊野古道) の一部とされたために人馬の往来が激しく,その後300年以上にわたって幾度となく架換えがおこなわれてきた 1.
現在の広橋は昭和11年 (1936) 6月竣工,広橋史上初めての永久橋とされる 2.先代の橋はおそらく昭和9年の室戸台風で損壊したものと思われる.同台風による湯浅広港付近の被害はかなりのものであったらしく,湯浅町誌 3 は,
この稀有の暴風雨と高波のために、湯浅町の被害はまことに惨憺たるものがあった。とくに海岸において最もはなはだしく、前年完成したばかりの湯浅築港防波堤は、中央部から先端は海中に陥没し、高波は海岸通の防波堤を越えて、新屋敷一帯を襲ったため、浸水家屋百戸に及び、在泊中の漁船のうち、大部分は南北両川口内港に避難したが、広側大波止場内に避難した大型機船は、湯浅海岸に打ち揚げられて、大損壊を被った。
と記している.広橋の被害は直接言及されていないが,旧橋が木橋であったことを考えると,被害がなかったとは思えない.
探訪 (2022. 2. 15.)
2022年2月15日,衣奈隧道の後に訪ねてみた.車は湯浅駅前の町営駐車場に止め,歩いて向かった.
湯浅側からみる広橋.高欄は味気ない規格品に交換されている.向かって左 (上流側) に歩道橋が増築されている.
親柱だけは残っている,と思いたかったのだが……ハリボテである.四隅に円柱を配した石造りの親柱は,半分以上がコンクリートで造り直されている.銘板など当然のように残っていない.どうしてこんなことに……
渡る前に横からの観察を試みる.
広橋,昭和11年 (1936) 竣工,RCゲルバー桁橋,橋長57.9m,幅員5.2m 2.対岸側で修繕工事が行われており,橋の半分弱ほどが視認できない状態だった.
わかりにくいが中央径間に2ヶ所のヒンジ部があり,吊桁が挟まっている.最も標準的なゲルバー桁だ.ただし継ぎ目部分も含めて真っ白に塗装されているし,路面の継ぎ目も舗装で埋めてあったので,既に連続桁に改修されているものと思われる.
さて,渡る.
橋上に立って下流側を見る.両岸に何やら不思議な装置が並んでいるが,シロウオ漁に用いられる四つ手網という仕掛けらしい.
広側へ.
橋の袂に工事の概要が.
広側の親柱もこの有様.一応保存の意味合いがあるのだろうけれど,あまりにも中途半端というか,雑というか.各地でなされているように,同じデザインで新しく作り直した方がよっぽど良いと思う.
下流側から.
上流側.歩道用の鋼桁が増築されている.
再訪 (2022. 9. 26.)
修繕工事は2022年7月までとなっていたから,それからしばらく経った2022年9月26日に再訪してみた.期待通り工事は終わっていた.しかしシロウオ漁の四つ手網も綺麗さっぱりなくなっていて,若干寂しい.どうやら漁の時期は2月から3月だけのようだ.
広橋,昭和11年 (1936) 竣工.わずかに弧を描く変断面の桁が美しい.
桁も橋脚も白く塗られている.古さは感じにくいが,これはこれで悪くない.
上流側に回ってみる.原桁と同じスパン割で鋼桁の歩道橋が架かっている.
護岸の途中に設けられた階段で水際ギリギリまで下り,できるだけ視点を下げて原桁を望んでみると,原桁が主桁4本のT型桁であることが見て取れた.
最後に下流側の離れた場所からの全景.
参考文献
- 広川町 (2022) "広川町歴史的風致維持向上計画" p. 104,広川町,2022年10月12日閲覧.
- 土木学会附属土木図書館・編 (2008) "橋梁史年表" 2022年10月12日閲覧.
- 湯浅町誌編纂委員会・編 (1967) "湯浅町誌" pp. 317-319,湯浅町.