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現地探索
黒谷橋の後,この日最も楽しみにしていた橋に向かった.山中温泉のバスターミナルから加賀温泉駅ゆきの路線バスに乗り込み,山代温泉ひとつ手前の「河南」で下車.ここはかつての江沼郡河南村.大聖寺川の南という立地ゆえの単純明快な字と思われる.
バスの後を追って河南交差点を右折する.この交差点は時差信号となっており,市松模様の「時差式」標識があった.
この標識,どうやら東京都と石川県にしかないそうだ.見慣れた人にとっては何でもないものかもしれないが,私が目にするのは初めてだった.
交差点から二三の家屋を過ぎると,ほどなく目当ての橋に到着した.
幅員の大きさはかなりのものだが,それに比べて背の低い高欄が気になる.この光景をストリートビューで見たことが,今回の訪問のきっかけとなった.
まずは手前右側のガードレールの切れ目から堤防に下りてみる.
下部工から上部工までコンクリート造り.ものすごく古いというわけではなさそうだが,それでもやや前時代的な印象を受けるのはコンクリート製の高欄のせいだろうか.
続いて反対の下流側.
こちらは配管が2本添えられていて少々目障りだ.
橋上に戻る.親柱は存在せず,その代わり高欄の路面側に銘板がはめ込まれている.この仕様自体は現代的だが,しかし銘板は古くからの橋の親柱によく見られる青銅?製で,しかも縦書きである.まずは上流側.
崩し字で「昭和三十四年五月架」.見た目から受ける印象通り,近代から現代への過渡期の作だった.
下流側.
こちらは崩されすぎていて読み取りづらいが,後述の右岸側の銘板の内容からして「かわみなみおうはし」と思われる.
渡橋する.
高欄は直線のみで構成されたシンプルな意匠.開口部に鉄格子 (鉄ではないが) が施されている.この無骨さが私にとってはたまらない.
渡り切って右岸の銘板.
左岸側よりも楷書に近い書体で「河南大橋」「昭和三十四年五月架」.歴板の文字が「竣工」や「架設」ではなく「架」であるのは石川の橋によくみられる特徴だ.
右岸側は川に沿って農道が伸びており,そこから容易に橋を観察することができた.
コンクリートの桁が平面支承の上に載っている.
上の写真を撮ったとき,嬉しい発見があった.高欄の外側に大小2枚の銘板が掲げられていたのだ.まずは上の写真より右の橋台真上の大きな方.
河南大橋架換工事
橋長45.0米 巾員6.0米
昭和34年5月 竣功
施工者 上出組
施工者の名前で検索してみると,同じ加賀市内の建設業者がヒットした.彼らの仕事と思われる.
もうひとつの銘板は2枚上の写真にも写っているが,足場がないので接近が難しい.仕方がないので,高欄から身を乗り出して無理やり写真に収めた.
等級 一等橋
橋長 45.00米
有効巾員 6.00米
竣功年月 昭和34年5月
施工者
ピー・エス・コンクリート,つまり現在の日本ピーエスといえば,日本におけるプレストレストコンクリート (PC) 橋のパイオニアである.
少し離れた位置からの全景.
堂々たる姿はまさに「大橋」といった趣で素晴らしい.
これにて現地探索を終え,バスで加賀温泉駅に向かった.そこから北陸本線で金沢に戻り,石川橋,小橋,天池橋の順に探索した.
机上調査
本橋の詳しい歴史については今のところ不明.現地銘板に「架換」と刻まれていたことから旧橋があったことは間違いないが,旧橋の諸元や架換えの経緯などの記録を見つけられていないのだ.ただ,「山中町史」1 には本橋架設の前年となる昭和33年 (1958年) 7月24日,台風11号による集中豪雨で
旅館七軒浸水・橋流出の被害
と記されている.その流された橋のひとつが河南大橋の旧橋だった可能性がある.
本橋は山代温泉の南のはずれに位置し,橋西詰の河南交差点で山中温泉方面の国道364号と合流する.この道筋は,現在は昭和48年 (1973年) 開通の加賀山中大橋を含む県道11号,および平成21年 (2009年) に南加賀道路の一部として開通した山代跨道橋によって旧道となっているが,かつては両温泉を結ぶ主要道路だった.
左は最新の地図,右は昭和43年 (1968年) の航空写真,中央の十字が河南大橋.その北東が山代温泉で,川に沿って南に進んだ先に山中温泉がある.
なお,旧道とはいえ本橋は引き続き現役で利用されており,加賀温泉駅と山代・山中の両温泉とを結ぶ路線バスも本橋を経由している.道路管理者の台帳をベースとする全国橋梁マップによると,平成28年 (2016年) 時点で橋の状態は「健全」であり,今後の行く末にも期待が持てそうだ.