金沢市の橋シリーズは本記事でいったん完結となる.市の郊外,犀川上流に架かるポニートラス橋を訪ねた.
小橋の探索を終えた後,いったん金沢駅まで戻って東部車庫行きのバスに乗車した.次の目的地は,犀川大橋から7.5kmほど上流に架かる天池橋だ.時刻は既に17時近くになっており,夏場とはいえ既に陽は傾き始めている.
香林坊から幸町,城南,涌波と進むと,徐々に農地が増えて郊外の様相を呈してきた.城下町の外郭らしい名を残す末町に入り,終点ひとつ手前の「都雅野住宅」で下車.陽が沈む前に橋にたどり着かなければ,と焦りながら,Googleマップに従って集落の中の道を東に進む.最初は車も通れる普通の道だったが,5分ほど歩くと,
ん…??行き止まりか?
しかしそうではなかった.
細く長い階段が続いている.深い竹藪に覆い隠された昼なお暗い道は,山奥の旧隧道なみに陰鬱な雰囲気だ.「ここを下りるのか…」と少々躊躇した.
Googleマップと地理院地図を再確認する.やはりこの道が天池橋への近道だ.もちろん車両用の県道という別ルートはあるが,勾配を緩和するため大きく迂回している.日没は近く,時間の猶予はない.仕方がないので,虫除けスプレーを全身に噴射し,ハチ撃退スプレーを鞄から取り出して階段を進んだ (幸い後者を使うことはなかった).
しばらく降りると路面は堆積物に覆われてしまった.まとわりつく蚊にうんざりしながら進み,踊り場を過ぎて左に曲がると,
階段の終わりが見えてホッとした.下に見えるのは迂回してきた県道だ.
足を滑らせないように慎重に下り切って,振り返り.
廃道とまでは言わないが荒れていた.地区の住民専用といった雰囲気の道だが,車社会ゆえか,その用途でもあまり使われていなさそうだ.10年後には通行不能になっているかもしれない.
県道を進む.この日は金沢城跡の陸軍弾薬庫隧道に始まり,石川橋,雀橋,犀川大橋,浅野川大橋,天神橋,小橋と市内の橋を探索しただけでなく,次回以降レポートするように加賀市にも足を伸ばしていた.それなりの疲労が溜まっており,足取りは重い.先ほどの階段のこともあって,カーシェアでも使えばよかったと思いながら歩いていた.すると,突如左側の擁壁から水の音が聞こえてきた.
コンクリ擁壁が一瞬途切れたところに,爽やかな滝.
この滝の名称や謂れは不明.付近には「滝亭」や「滝乃荘」なる古そうな旅館があるが,その名にある滝がこの滝を指しているのかもわからない.しかし少なくとも私にとっては嬉しい出会いで,ここまで歩いてきたことに対するご褒美のように感じられた.この県道は幅員の割に交通量が多く,車で来ていれば止まって眺めることは叶わなかったに違いない.
滝で気力を回復し,歩みを再開.坂を下り切ると右にカーブし,農地を両脇に見ながら進む.4輪同士の離合が可能なように拡幅された道が徐々に狭まってゆき,その先には,
ようやくトラスが見えてきた.バス停から15分ほどしか経っていないが,異様に長く感じる道のりだった.
接近して.
天池橋,昭和33年 (1958年) 竣工.白塗りの美麗なポニーワーレントラスで,小規模ながら親柱と一体化した袖高欄も有している.
親柱上の題額.
「天池橋」「昭和三十三年三月架」.天池は対岸の字 (旧天池村→旧犀川村字天池→現在の金沢市天池町) である.竣工時期の後が「竣工」や「架設」,「架換」などではなく「架」の一文字であるのは,本橋に限らず石川県でよく見かける.
近景.
トラスにびっしりと打たれたリベットが心地良い.路面はコンクリート舗装.
向かって左手前の斜材に銘板が掲げられていた.
1958年3月
金澤市建造
建示(1955)二等橋
製作 髙田機工株式會社
材質 SS41
「金澤市建造」ということは,現在は石川県道114号の一部である本橋は,当初は市道だったのだろうか.ちなみにこの県道の指定は昭和48年 (1973年) とされる.
上流側から.
犀川を無橋脚で一跨ぎしている.そのためのトラス構造に違いないが,現代であればプレートガーダーで越えられる川幅と思われる.トラス構造はこの時代に標準的な鉛直材付きのワーレン型.
渡って南詰から振り返り.
親柱は失われていた.南詰は幅広の道路とのT字路になっており,右左折する車を支障しないように撤去されたのだろう.
上流側と下流側.
最近塗り直されたのか,錆びもなく綺麗な状態だ.歩道橋や配管は添加されておらず (後者は下流側に少し離れて管路橋が設えてあった),また高欄も当初の姿とみられるのが好もしい.
藪が多かった上に疲れていたので水際に下りたりはせず,これにて現地探索を終えた.もう一度竹藪の中の階段をうんざりしながら通り,金沢駅までバスで戻った.その後は翌日の探索に備え,富山県高岡市まで移動して投宿した.
天池橋の来歴などの情報は今のところ不明.「金沢市史」,「年表金沢の百年 大正・昭和編」,「石川県石川郡史」,「石川の土木建築史」を調べたが,本橋に関する記述は見当たらなかった.また「橋梁史年表」は出典として県土木部による「石川の橋」を挙げており,関西圏の図書館や国立国会図書館に所蔵されていないのでわざわざ石川県某市の図書館まで出向いて閲覧したのだが,天池橋については「橋梁史年表」にもある諸元が巻末のリストに載っているだけだった (せめて旧橋の有無くらいは知りたかったのだが…).他の探索もついでに済ませてきたとはいえ,さすがに堪える結果となった.
昭和33年という建造年を考えると,昭和27年から28年にかけ,複数回にわたって加賀地方を襲った集中豪雨がきっかけとなった可能性はある.この水害によって市街地では,当時まだ多かった木橋 (例えば小橋) はことごとく流出,永久橋であった (旧) 天神橋ですらも落橋の憂き目に遭っており,各橋は昭和28年から昭和30年台初頭にかけて無脚の永久橋として再建されている.天池橋の架設も同様の経緯だったのかもしれない……という想像はできるのだが,裏付けがない.
何か情報をお持ちの方,ぜひお知らせいただければ幸いです.