和歌山市随一の景勝地,和歌浦.その入口に戦後掘られた隧道を訪ねた.
北島橋の現地調査を終えた後,当初の予定では上流側に架かる南海本線の紀ノ川橋梁を訪ねようと思っていたのだが,酷暑の中で川沿いを延々歩いて行く気になれなかったので,予定を変更して南海和歌山市駅に戻って来た.なお,紀ノ川橋梁も後日訪問している.
駅から新和歌浦ゆきのバスに乗り込んだ.新和歌浦には明治期の隧道が残っており,以前探索したが,今回はその手前の「大道町」で下車.港に入る手前で右折して県道15号,通称大浦街道に入った.
進むこと200m.
大きな隧道が見えてきた.
接近して.
和歌の浦隧道,昭和33年 (1958年) 竣工.
戦後復興期にあたるこの時期,市は和歌浦地域の観光開発を積極的に進めていた.それによって昭和25年 (1950年) には一帯が瀬戸内海国立公園に編入され,また同じ頃に毎日新聞社と日本観光地選定会議による「観光地百選」にも選ばれたこともあって,昭和20年代後半から30年代にかけて,和歌浦方面への団体旅行の予約が殺到したという 1.その和歌浦方面へのアクセス路としては,市の大動脈たる国道42号から分岐する海岸通りがあるが,当時は路面電車が走っていた 2 ので,自動車の普及に伴って渋滞を緩和するバイパスが必要とされたのだと思われる.その結果がこの隧道だったと考えると,大きな断面積にも納得がゆく.和歌浦方面に向かう観光バスが離合できるように設計したのだろう.
アーチ環.
こぶ出しに仕上げた切石で綺麗なアーチが組まれている.奥行きもよく見ると全て同じではなく段違いになっている.このような古典的装飾を有する隧道としては最後発の部類のもので,ここにも観光地へのアクセス路としての性格が現れているように思う.
見上げて.
大きな要石が好ましい.扁額には右書きで「雲山萬化洞」,当時の高垣善一市長による揮毫であることを示す「善一書」の文字も見える.「雲山萬化」は (山にかかる) 雲は万化す,すなわち様々に変化する (=千変万化) といった意味だが,和歌浦には第2代農林大臣・岡崎邦輔が明治24年 (1881年) 頃に「雲山萬化荘」と号する別荘を設けており,これに因んだ雅号に違いない.なお,雲山萬化荘は現在「純喫茶リエール」として活用されているそうだ 3.
内部.
当然のようにコンクリートで巻き立てられているが,型枠目地がはっきりと見えるのはいかにも古い隧道だ.歩道がないこともまた然り.
車に気を付けて路肩を歩き,北口に出て振り返り.
意匠は南側と同様だが,こちらの方が日当たりが悪いので,蔦に邪魔されず坑門全体をはっきりと見渡せる.壁面には目地風のスリットが入っているが,これも古典的なブロック積み (石,煉瓦,Cブロックなど) を模した装飾と思われる.
扁額.
こちらは右書きで「和歌の浦隧道」そして「昭和三十三年三月竣工 和歌山市長 高垣善一」.
探索記録は以上.この後は南海フェリーで徳島に向かうため,隧道北側の「大浦口」停留所からバスで市街地に戻った.
参考文献
- 和歌山市史編纂委員会・編 (1990) "和歌山市史" 第3巻 (近現代),pp. 854-856,和歌山市.
- 木川剛志 (2018) "朝日新聞デジタル:昭和の面影 明光商店街 - 和歌山 - 地域" 2021年10月28日閲覧.
- 北浦雅子 (2021) "純喫茶リエール 雲山萬化荘|和歌山県|たびよみ" 2021年10月28日閲覧.