交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

二雲橋 (2021. 5. 30.)

三重県津市,旧白山町.美しい渓谷に架かる,戦前生まれのアーチ橋を訪ねた. 

 

近鉄電車で榊原温泉口駅に着くと,駅前にはすでに一志病院行きのコミュニティバスが待っていた.一志病院は旧白山町の総合病院で,今回の目的地からも至近である.

 

早速乗り込むと,運転手氏に「どちらまで」と聞かれる.「一志病院まで」と答えながら,バスなのにこんなことを聞かれるのは不思議だと思ったが,このバスには運賃表示器もなければ「次とまります」ボタンもないのであった.さらに,運転手氏は退屈していたらしく,「病院関係の方なの?それともお見舞いとか?」「どちらから来られたの?」から始まり「コロナのワクチンが云々」だの「○○の社長は云々」だのと世間話を延々と繰り出した.バスの乗客は私一人だったから,おかげで一志病院までの約30分,それに付き合う羽目になった.コミュニケーションが不得手な私は,「お仕事は?」「コロナ渦だけど会社の業績はどうですか?」「どのあたりでお勤めなの?」「結婚されてるの?」などの質問攻めにも参ってしまった.どうもバスというよりはタクシーに近い.しかし運賃は確かにバスで,10kmほど乗車してもわずか200円であった.

 

病院のすぐ近くには,雲出 (くもず) 川が流れている.目指す橋はこの川に架かっているから,川沿いを歩いてゆけばよい.周囲には,

穏やかな田園風景が広がっている.人の姿もなく,気持ちの良い散歩ですっかり元気を回復した.

 

10分ほど歩いてゆくと,

雲出川を跨ぐ橋の袂に至った.目的地である.橋の上には家族連れがいたので,そこだけモザイクをかけている.並行するJR名松線の写真を撮ろうとしているようだ.

 

まずは橋上の風景.親柱に刻まれた名前は,

「二雲橋」「にくもはし」.そして,

「昭和九年三月架設」.私の大好きな年代の橋である.文字は読みやすくて素晴らしいが,どういうわけか親柱の正面ではなく,側面に刻まれていた.

 

コンクリート造りの太い高欄は,

角の丸い四角窓を連ねたリズミカルな意匠が施されている.シンプルながら,無骨さと軽快さを兼ね備えていて好ましい.奥に見えるプレートガーダー橋は名松線である.

 

反対側を見ると,

美しい渓谷である.合併の結果とはいえ,とても県庁所在地の津市の風景とは思えない.

 

南側に回って橋の全景を捉えようとするも,

うーむ,見にくい.しかし右奥に,川辺に下りる階段を見つけた.

 

北側に戻り,階段を下る.途中に柵はあったが,防獣用と思しき簡易なもので,閂を外すとすぐに開いた.「ご自由にお入りください」とも書いてあったので,遠慮なくそうさせていただいた.もちろん柵はきちんと閉めた.そうしているうちに名松線の列車が通過し,橋上の家族連れは去って行った.

 

無人になった橋を,横から.

二雲橋,昭和9年 (1934年) 竣工,近代土木遺産Cランク 1.優美な2連のアーチ橋で,高欄の質感も素晴らしい.

 

下から見上げてみると,

これは,不思議な構造だ.基本的には開腹式のアーチだが,アーチから上に伸びる鉛直材の隙間や路面の裏側などに,リベットで板が打ち付けられている.「日本の近代土木遺産1 は

RC開腹アーチ(リブ+柱)の隙間を薄い板で塞いだような構造

と評しているが,まるで開腹アーチであることを隠し,充腹アーチに見せかけているかのようだ.

 

開腹アーチと充腹アーチでは,一般的に前者の方が自重が少なく,長大な橋を架設しやすいという利点がある.2連が妥当な程度には長い橋であるし,時代を考えると開腹式とすることには納得がゆくのだが,なぜわざわざ隙間を塞いだのだろう.設計の途中で,充腹式から開腹式に変更するという経緯があったのかもしれない.あるいは,先代の橋の外観を再現したのかもしれない.

 

北側に回る.こちらは逆光だ.

日陰を好みそうな蔦が繁茂している.しかしその美しいシルエットまでは隠し切れない.

 

川の水は澄んでおり,どこを覗いても多数の小魚やオタマジャクシが泳いでいた.

橋の造形もさることながら,周囲の景観や雰囲気も素晴らしく,満ち足りた気分で探索を終えた.

 

この後は名松線で移動し,中電めがね橋という不思議な橋を訪れた.その模様は,次の記事でレポートする.

参考文献

  1. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 144-145,土木学会.