交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

粟田口隧道 (2021. 5. 22.)

言わずと知れた,超有名物件である.東山トンネルの探索後,日没まで時間があったので寄り道した.

目次

導入

おそらく日本で一番有名な「ねじりまんぽ」である.しかし本物件を単に「ねじりまんぽ」と呼ぶのは感心しない.ねじりまんぽであることは確かだが,唯一無二のものでは決してなく,以前レポートした門ノ前橋梁も含めて,各所に現存する.なお「日本の近代土木遺産1 は「琵琶湖疏水 ねじりまんぽ」と紹介している.

 

呼称といえば,記事のタイトルにしている「粟田口隧道」という名前についても出典がよくわからない.ネット上でよく見かける名前ではあるのだが,不思議と公的な資料や信頼できる情報がヒットしない.せいぜい京阪電鉄のサイト 2 で言及されているくらいである.そもそも,本物件はインクラインの下を潜るもので,本質的には架道橋である.だからこそ本記事のカテゴリも「橋梁」にしている.もっとも,架道橋に隧道という名が付いていることも伊賀街道架道橋などの例があり,唯一無二ではない.いずれにしても,琵琶湖疏水記念館にでも行けばわかるかもしれない.

 

閑話休題.本橋については有名だからわざわざ解説しないが,琵琶湖疎水を利用した水運で使われたインクラインの下を潜るものである.私は京都に観光に来た知人を案内するとき,インクラインの遺構 (レールと台車が保存されている) からの南禅寺というルートをとることが多い.そのためインクラインの真下を通る本橋も,何度も訪れたことがある.しかし交通遺産をめぐる趣味を始めてからは来ていないから,視点が変わったことで,新たに気付くこともあるかもしれない.そんな期待をしつつの訪問となった.

南禅寺側 (東側) 坑門

粟田口隧道.明治21年 (1888年) 竣工,近代土木遺産Aランク,国史1

 

アーチは煉瓦4層巻きで,おそらく装飾のために焼過煉瓦が使用されている.そのアーチの土台には,丁寧に加工された切石積みの迫受けである.坑口脇にはピラスター,上部には重厚な帯石と笠石という凝った造りで,ピラスターの脇から伸びる幅広の翼壁も印象的だ.以前訪れたときには,これほど装飾的でかつ美しいことには気付かなかったから,やはり視点の違いというのは大きい.

 

見上げて.

帯石と笠石の雁木が好ましい.

扁額について

南禅寺側の扁額は,

傷みが激しいが,老ノ坂隧道の記事でも言及した北垣国道・第3代京都府知事の揮毫で「陽氣發處」だそうだ 3.これは朱子語類の「陽気発処 金石亦透 精神一到 何事不成」に由来するものだろう.前半は日本でも「陽気を発する処金石も亦透る」というマイナーなことわざになっているが,意味としては後半の方がわかりやすいかもしれない.つまり精神を集中して物事を行えば,何事も乗り越えることができるということだ.前半も同じ意味だが,「陽気」は陰と陽の二気の概念から来るものであり,陽気が生じることで,金石 (=硬いもの) も貫通できるということである.そんな故事成語の一節,それも「陽の気の発する処」を扁額に書していることから,琵琶湖疏水の建設に対する関係者の希望と断固たる意思が窺える.

 

そしてこの扁額は,よく見る石材などではなく,独特の質感の陶器で造られていることも注目に値する.これは江戸時代から近辺で製造されていた粟田焼の陶板だそうだ 3.額の縁を飾る貫入模様も素晴らしい.

 

扁額について語り始めるとつい長くなってしまう.そろそろ次の話に進もう.

内部

アーチの内部に入ると,ここでも以前は気付かなかった特徴を発見した.以下の2枚は蹴上駅側から振り返って撮影したものだ.

ねじれていることは言うまでもないが,側壁の下部に小さな開口部が整然と並んでいる.それぞれは2層巻きの欠円アーチで,造りとしては鉄道隧道の退避坑を思わせる.しかし高さは大人の足首くらいしかないから,ここに退避できるのはネズミくらいだろう.もちろんそんな目的ではなく,装飾に違いない.こういったアーチを連ねた装飾はアーケードと呼ばれ,西洋建築にはしばしば見受けられる.

蹴上駅側 (西側) 坑門

粟田口隧道,西側.意匠は反対側と同じようだが,こちら側は大通りに面しているから,その装飾の効果は大きいだろう.

 扁額について

比較的良い状態を保っている.こちらも北垣国道氏の書で「雄觀奇想」である 3.意味はそのまま「見事な景観と素晴らしい思想」だが,琵琶湖疏水の完成を見た関係者の感嘆が現れているようだ.もちろん疎水だけでなく,それを活用した水運とインクライン,また至近に造られた日本最初の水力発電所である蹴上発電所のことも含まれているに違いない.

 

何度も来たことのあるところだが,色々と新しい発見があり,再訪した甲斐があった.今後もこのままの状態を保ってほしいものだ.

 

これにてこの日は探索を終えて帰宅した.

参考文献

  1. 土木学会土木史研究委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選―" pp. 178-179,土木学会.
  2. 京阪電気鉄道 (2017) "蹴上〜三条京阪〈地下鉄東西線〉|鉄の路を辿る|湖都・古都・水都 〜水の路〜|おすすめ!|沿線おでかけ情報(おけいはん.ねっと)|京阪電気鉄道株式会社" 2021年6月25日閲覧.
  3. 京阪電気鉄道 (2017) "扁額に想う|琵琶湖疏水を感じる|湖都・古都・水都 〜水の路〜|おすすめ!|沿線おでかけ情報(おけいはん.ねっと)|京阪電気鉄道株式会社" 2021年6月25日閲覧.