前回の続きである.国道9号の旧道に架かる「王子橋」の訪問記録をレポートする.有名な土木遺産であるが,かなりハードな探索となった.
目次
アプローチ
老ノ坂隧道 (2代目) を通って亀岡市に入った私は,次なる目的地である王子橋に向かって,国道9号を歩いた.実を言うとこちらが本命で,前回長々と書いた老ノ坂隧道は「ついで」のつもりだったのだ.2代目隧道がが近代土木遺産に指定されているのも,後から調べるまで知らなかったくらいである.ただし,良い隧道であったことは確かである.
ともかく,老ノ坂隧道から王子橋までの道は,歩道がないだけでなく路肩も狭く,その上大型車も多く通るとあって,歩きにくいことこの上なかった.やはり車で来るべきだったかもしれない.以下のストリートビューはその道中のひとコマである.
執筆時点では,冬に撮影されたと思しき画像になっているが,私の探索した日は新緑の季節で,道路脇からの藪の浸食を受けて路肩がさらに狭まっていた.車ならいいが,徒歩では二度と通りたくない.
王子橋
老ノ坂隧道から歩くこと約10分,ようやく安寧の地に辿り着いた.
この写真では,ただの遊歩道にしか見えないだろう.しかし,そのまま右を向くと,このような光景を目にすることになる.
まるで博物館である.
なお,この王子橋はここまで歩いてきた国道9号の旧道にあたるが,現道の橋の名前も同じく「王子橋」である.このような場合,旧道の方に「旧」を冠するのが通例であるが,選奨土木遺産の認定書等を尊重し,敢えて「旧」を付けずに「王子橋」と書くことにする.区別のため,現橋のことは現・王子橋と表記する.
さて,選奨土木遺産の認定書で絶賛されているこの橋の素晴らしさ,すなわち珍しい形式の石造りアーチを味わいたいわけだが,これが存外難しい.現・王子橋はすぐ脇を通っているのだが,以下のストリートビュー (執筆時点) のように路肩はほぼなく,そこから観察するのは危険である.
カーブの内側に少しだけ見えているのが王子橋である.ストリートビューを拡大してもらえれば,茶色 (擬木コンクリート) の欄干が見えるが,歩道はその向こう…ではなく,そこからさらに植え込みと,別の擬木コンクリート仕切りを越えた先である.これではアーチ部は全く窺えない.仕方がないので,詳細は割愛するが *1 自己責任で歩道から外れ,可能な限りアーチがよく見える場所に到達した.
王子橋.明治17年 (1884年) 竣工,土木学会選奨土木遺産 1・近代土木遺産Bランク 2.石造りというと重厚なイメージが私にはあったが,この橋は,一つ一つの切石 (花崗岩とのこと 1) の色の違いがタイルアートのようで瀟洒である.コンクリートのアーチ橋にはない魅力である.なお設計は琵琶湖疎水で知られる田邊朔郎,施工は地元の大工・山名乙次郎であったという 1, 2, 3.
珍しい形式とされるアーチ部分の構造をズームして撮影したのがこちら.
アーチを構成する五角形の輪石の上部の端 (天端) が,壁を構成する切石と調度噛み合うようになっている.大沙川隧道や旧長野隧道のことを思い出した.そしてさらに特徴的なのは,その輪石のひとつひとつが,4~6個の石を組み合わせて造られていることである 1.橋全体だけでなく,輪石ひとつに至るまでもがタイルアートのような凝り様とは見事である.土木学会の解説シート 1 でも,
当時の加工技術の高さや施工時の丁寧さが伺える
と絶賛されている.
そんな素晴らしい王子橋は,これまで述べてきたように既に車道としての役割を終え,人道橋としての役割に徹している.橋の架替えの経緯については「亀岡市史」3 が詳しい.王子橋の幅員は2代目・老ノ坂隧道と同程度で,やはりモータリゼーションの進展に伴って手狭になったようだ.しかもその前後は急カーブに挟まれており,事故が多く「魔の橋」とまで呼ばれていたそうだ *2.そんなわけで,1969年に現道が開通し,王子橋は旧道となったのであった.
竹藪探索編
さて,ここからは後半戦である.上の写真のように,なんとかアーチは見ることができたものの,もっとよく見たいものだ.なんといってもアーチ橋なのだから,できれば真横から,そしてできれば下から見上げたい.そのために,川底への下降を試みた.
王子橋が跨ぐ谷は深い.高さに関する資料を見つけることはできなかったが,ビルの3階くらいの高さはあろうかと思われた.しかし,谷底へ降りた先人の記録が存在する.「宮様の石橋」さまの記事 4 には
岸下流側から竹藪を伝って降りることができると聞いて、初めて川底からの撮影に成功。
という文面とともに谷底からの写真が掲載されている.また,私がいつも参考にさせていただいている「くるまみち」さまの記事 5 や,伊藤純氏なる人物の記事 6 にも,谷底から撮影した写真が載っている.特に後者は,投稿日が今年1月と最近であり,また当該記事の写真にある青いビニールシートは,私も現地で存在を確認している.そんな具合だから,竹藪に入ってしまえば後は簡単なのではないかと考えていた.
結論から述べると,谷底に降りることはできなかった.
竹藪への進入路は明瞭であった.王子橋の東側に竹藪があり,刈り払いされた道があった.
しかもこの先の緩い斜面には,階段状に釘を打ち,歩きやすくしてあった.
問題はその先である.道が直進と右の二手に分かれた.
画角が狭いのでわかりにくいが,実際は両方とも刈り払いされており明瞭であった.直進した先は急斜面で道が終わっている *3.右は平坦な道がずっと続いている.当然,地図などない.考えた末,右に進んだ.橋から離れる方向だが,谷底に降りられたら,そこから橋に近付くことは容易だと思ったからだ.しかし,15分以上歩いても道は高度を下げないので,違うと思って引き返した.
気を取り直して,最初の分岐を直進する.やはり道は終わっている.
どうしようもないので,橋に近付くことにした.斜面に生えている竹を手掛かり足がかりにして慎重に進んだが,何度か谷底まで滑落する危機を覚えた.非常に危険なので,真似はしないでいただきたい.そうして進軍している途中で撮影したのが下の写真である.
これは踏み跡なのか…?写真では伝わりづらいが,立てないほどの急斜面である.
気が付けば,橋がこんなに近くに.
竹にぶら下がるようにして,なんとかアーチの真下に辿り着いた.
美しい.
これ以上進むのは無理と判断して撤退した.私一人であったし,転がり落ちるようにして谷底に降りられたとしても,戻ってこられない可能性が高かった.全てが自己責任のこの趣味では,引き際が重要である.王子橋の下に降りる方法をご存じの方,ぜひ教えてください.
この後は再び歩道のない現道を15分ほど歩き,「国道王子」から京阪京都交通のバスでこの地を去った.老ノ坂隧道を出てから1時間が経過していた.予想外にハードな探索になったけれど,名橋であった.
補遺: 京都縦貫道の橋梁について
国道9号のバイパスとして,有料道路の京都縦貫自動車道 (老ノ坂亀岡道路) が1988年に開通している 3.その京都縦貫道は,王子橋や現・王子橋の架かる鵜ノ川を,下の写真のような巨大なアーチ橋で渡っている.
明治17年竣工の王子橋と,およそ1世紀後に架けられた高速道路の橋が,いずれもアーチ橋というのは面白い.その間の世代である現・王子橋は桁橋であるから尚更である.コンクリートであっても,やはりアーチ橋は美しい.
おまけ
探索後,亀岡駅近くで頂いたハンバーグランチ.
参考文献
- 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2007) "王子橋の解説シート | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年5月11日閲覧.
- 土木学会土木史委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選" pp. 180-181,土木学会.
- 亀岡市史編さん委員会・編 (2004) "新修亀岡市史" 本文編第3巻,pp. 113・830 ・977-978,京都府亀岡市.
- miyasama2748 (2015?) "亀岡市の石橋―宮様の石橋" 2021年5月11日閲覧.
- よとと (刊行年不明) "橋景39 王子橋 by.くるまみち" 2021年5月11日閲覧.
- 伊藤純 (2021) "王子橋(おうじばし)~田辺朔郎氏設計の石造アーチ橋~|土木ウォッチング" 2021年5月11日閲覧.