交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

亀岡市の (旧) 王子橋 (2021. 4. 30.)

前回の続きである.国道9号の旧道に架かる「王子橋」の訪問記録をレポートする.有名な土木遺産であるが,かなりハードな探索となった.

  

目次

アプローチ

老ノ坂隧道 (2代目) を通って亀岡市に入った私は,次なる目的地である王子橋に向かって,国道9号を歩いた.実を言うとこちらが本命で,前回長々と書いた老ノ坂隧道は「ついで」のつもりだったのだ.2代目隧道がが近代土木遺産に指定されているのも,後から調べるまで知らなかったくらいである.ただし,良い隧道であったことは確かである.

 

ともかく,老ノ坂隧道から王子橋までの道は,歩道がないだけでなく路肩も狭く,その上大型車も多く通るとあって,歩きにくいことこの上なかった.やはり車で来るべきだったかもしれない.以下のストリートビューはその道中のひとコマである.

執筆時点では,冬に撮影されたと思しき画像になっているが,私の探索した日は新緑の季節で,道路脇からの藪の浸食を受けて路肩がさらに狭まっていた.車ならいいが,徒歩では二度と通りたくない.

王子橋

老ノ坂隧道から歩くこと約10分,ようやく安寧の地に辿り着いた.

この写真では,ただの遊歩道にしか見えないだろう.しかし,そのまま右を向くと,このような光景を目にすることになる.

まるで博物館である.

 

なお,この王子橋はここまで歩いてきた国道9号の旧道にあたるが,現道の橋の名前も同じく「王子橋」である.このような場合,旧道の方に「旧」を冠するのが通例であるが,選奨土木遺産の認定書等を尊重し,敢えて「旧」を付けずに「王子橋」と書くことにする.区別のため,現橋のことは現・王子橋と表記する.

 

さて,選奨土木遺産の認定書で絶賛されているこの橋の素晴らしさ,すなわち珍しい形式の石造りアーチを味わいたいわけだが,これが存外難しい.現・王子橋はすぐ脇を通っているのだが,以下のストリートビュー (執筆時点) のように路肩はほぼなく,そこから観察するのは危険である.

カーブの内側に少しだけ見えているのが王子橋である.ストリートビューを拡大してもらえれば,茶色 (擬木コンクリート) の欄干が見えるが,歩道はその向こう…ではなく,そこからさらに植え込みと,別の擬木コンクリート仕切りを越えた先である.これではアーチ部は全く窺えない.仕方がないので,詳細は割愛するが *1 自己責任で歩道から外れ,可能な限りアーチがよく見える場所に到達した.

王子橋.明治17年 (1884年) 竣工,土木学会選奨土木遺産 1・近代土木遺産Bランク 2.石造りというと重厚なイメージが私にはあったが,この橋は,一つ一つの切石 (花崗岩とのこと 1) の色の違いがタイルアートのようで瀟洒である.コンクリートのアーチ橋にはない魅力である.なお設計は琵琶湖疎水で知られる田邊朔郎,施工は地元の大工・山名乙次郎であったという 1, 2, 3

 

珍しい形式とされるアーチ部分の構造をズームして撮影したのがこちら.

アーチを構成する五角形の輪石の上部の端 (天端) が,壁を構成する切石と調度噛み合うようになっている.大沙川隧道旧長野隧道のことを思い出した.そしてさらに特徴的なのは,その輪石のひとつひとつが,4~6個の石を組み合わせて造られていることである 1.橋全体だけでなく,輪石ひとつに至るまでもがタイルアートのような凝り様とは見事である.土木学会の解説シート 1 でも,

当時の加工技術の高さや施工時の丁寧さが伺える

と絶賛されている.

 

そんな素晴らしい王子橋は,これまで述べてきたように既に車道としての役割を終え,人道橋としての役割に徹している.橋の架替えの経緯については「亀岡市史」3 が詳しい.王子橋の幅員は2代目・老ノ坂隧道と同程度で,やはりモータリゼーションの進展に伴って手狭になったようだ.しかもその前後は急カーブに挟まれており,事故が多く「魔の橋」とまで呼ばれていたそうだ *2.そんなわけで,1969年に現道が開通し,王子橋は旧道となったのであった.

竹藪探索編

さて,ここからは後半戦である.上の写真のように,なんとかアーチは見ることができたものの,もっとよく見たいものだ.なんといってもアーチ橋なのだから,できれば真横から,そしてできれば下から見上げたい.そのために,川底への下降を試みた.

 

王子橋が跨ぐ谷は深い.高さに関する資料を見つけることはできなかったが,ビルの3階くらいの高さはあろうかと思われた.しかし,谷底へ降りた先人の記録が存在する.「宮様の石橋」さまの記事 4 には

下流側から竹藪を伝って降りることができると聞いて、初めて川底からの撮影に成功。

という文面とともに谷底からの写真が掲載されている.また,私がいつも参考にさせていただいている「くるまみち」さまの記事 5 や,伊藤純氏なる人物の記事 6 にも,谷底から撮影した写真が載っている.特に後者は,投稿日が今年1月と最近であり,また当該記事の写真にある青いビニールシートは,私も現地で存在を確認している.そんな具合だから,竹藪に入ってしまえば後は簡単なのではないかと考えていた.

 

結論から述べると,谷底に降りることはできなかった.

 

竹藪への進入路は明瞭であった.王子橋の東側に竹藪があり,刈り払いされた道があった.

しかもこの先の緩い斜面には,階段状に釘を打ち,歩きやすくしてあった.

 

問題はその先である.道が直進と右の二手に分かれた.

画角が狭いのでわかりにくいが,実際は両方とも刈り払いされており明瞭であった.直進した先は急斜面で道が終わっている *3.右は平坦な道がずっと続いている.当然,地図などない.考えた末,右に進んだ.橋から離れる方向だが,谷底に降りられたら,そこから橋に近付くことは容易だと思ったからだ.しかし,15分以上歩いても道は高度を下げないので,違うと思って引き返した.

 

気を取り直して,最初の分岐を直進する.やはり道は終わっている.

どうしようもないので,橋に近付くことにした.斜面に生えている竹を手掛かり足がかりにして慎重に進んだが,何度か谷底まで滑落する危機を覚えた.非常に危険なので,真似はしないでいただきたい.そうして進軍している途中で撮影したのが下の写真である.

これは踏み跡なのか…?写真では伝わりづらいが,立てないほどの急斜面である.

 

気が付けば,橋がこんなに近くに.

竹にぶら下がるようにして,なんとかアーチの真下に辿り着いた.

美しい.

 

これ以上進むのは無理と判断して撤退した.私一人であったし,転がり落ちるようにして谷底に降りられたとしても,戻ってこられない可能性が高かった.全てが自己責任のこの趣味では,引き際が重要である.王子橋の下に降りる方法をご存じの方,ぜひ教えてください.

 

この後は再び歩道のない現道を15分ほど歩き,「国道王子」から京阪京都交通のバスでこの地を去った.老ノ坂隧道を出てから1時間が経過していた.予想外にハードな探索になったけれど,名橋であった.

補遺: 京都縦貫道の橋梁について

国道9号のバイパスとして,有料道路の京都縦貫自動車道 (老ノ坂亀岡道路) が1988年に開通している 3.その京都縦貫道は,王子橋や現・王子橋の架かる鵜ノ川を,下の写真のような巨大なアーチ橋で渡っている.

明治17年竣工の王子橋と,およそ1世紀後に架けられた高速道路の橋が,いずれもアーチ橋というのは面白い.その間の世代である現・王子橋は桁橋であるから尚更である.コンクリートであっても,やはりアーチ橋は美しい.

おまけ

探索後,亀岡駅近くで頂いたハンバーグランチ.

参考文献

  1. 土木学会選奨土木遺産選考委員会 (2007) "王子橋の解説シート | 土木学会 選奨土木遺産" 2021年5月11日閲覧.
  2. 土木学会土木史委員会・編 (2005) "日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選" pp. 180-181,土木学会.
  3. 亀岡市史編さん委員会・編 (2004) "新修亀岡市史" 本文編第3巻,pp. 113・830 ・977-978,京都府亀岡市
  4. miyasama2748 (2015?) "亀岡市の石橋―宮様の石橋" 2021年5月11日閲覧.
  5. よとと (刊行年不明) "橋景39 王子橋 by.くるまみち" 2021年5月11日閲覧.
  6. 伊藤純 (2021) "王子橋(おうじばし)~田辺朔郎氏設計の石造アーチ橋~|土木ウォッチング" 2021年5月11日閲覧.

 

*1:車道には出ていないこと,植え込みをかき分けたり踏みつけたりはしていないことは明言しておく.

*2:上のストリートビューでもわかる通り,現道でもかなりの急カーブである.しかし橋自体がカーブしているので,一直線の王子橋が現役の時代よりはかなり改善されているのだろう.

*3:直進する水路が見えるが,斜面では滝のように高度を下げていた