交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

山添村の旧長尾橋 (2021. 4. 24.)

国道477号の水没区間の探索を思いのほかあっという間に終えた私は,まだ時間があったため,以前から気になっていた奈良県山添村の廃橋に寄り道した.

 

この廃橋が位置するのは,名阪国道・五月橋ICのすぐ隣である.ランプウェイに接続する国道25号 (波多野街道) は「長尾橋」という橋で遅瀬川を渡るが,その脇に旧橋が架かっている.

旧長尾橋,大正15年 (1926) 年竣工 1.コンクリート造りの充腹アーチ橋で,半円に満たないアーチ,いわゆる欠円アーチである.写真左側,橋の基部の欄干の下に,工事責任者等の氏名を刻んだ銘板があるらしい 1, 2 が,探索日時点では緑に覆われてうかがい知れなかった.

 

橋上は緑に覆われている.

埋もれた欄干の低さと無骨さが,この橋の古さを強調している.

 

さて,この橋の素性については,先にも引用した「奈良県の近代化遺産」の一次調査票 1 が非常に詳しい.私は本橋の訪問後に当該資料を入手したのだが,現場を訪れるだけではわからない,興味深い事実をいくつも知ることができた.先に示した竣工年もその一つであるが,その当時国内で生産されていなかったはずの,異形鉄筋が使われているということも述べられていた.異形鉄筋とは何ぞやと思ったが,凹凸の突起の付いた鋼材のことで,私のイメージする「鉄筋」そのものであった.偶然にも,その異形鉄筋の露出している部分を撮影していた.場所は橋の北西側,親柱があったと思われる付近である.

わかりにくいかもしれないが,露出している鉄筋に「コブ」が付いている.竣工当時,このような異形鉄筋は国内未生産の時代であったらしく,上述の調査資料は輸入品の可能性を指摘している.この光景を見た私は「コンクリートが剥離しているのはいかにも廃橋だな」としか思わなかったが,見る人が見ればもっと深いことがわかるものだ.

 

上の写真の位置から左を向くと,カラーコーンとAバリケードで塞がれた箇所があった.

穴が開いているのだろうと思いつつも,万一落ちたりでもしたら笑えないので,よく確認しなかった.しかしここも,「奈良県の近代化遺産」で調べられていた.やはり路面陥没らしく,橋台手前の埋戻し部分の土砂が流出しているようだ.

 

橋の下に降りられる場所は見つからなかったが,「はみ男の日記(仮)」さまの記事 2 によると存在するらしい.橋に取り付けられた銘板を確認することも含めて,藪が大人しい冬場に再訪したいと思う.

 

最後に,他の角度からの旧長尾橋の姿を掲載し,本報告を終えることにする.

優美な廃橋であった. 大正末年の貴重な土木遺産.近くにあった旧五月橋のように解体されることなく,その姿を末永く留めてほしいと思う.

補遺: 交通アクセスについて

五月橋ICのすぐ脇なので,車で容易に接近できる.旧道化した部分の一部は現道の広い路肩になっており,十分な駐車スペースがあった.また,現橋の袂には三重交通の「遅瀬口」バス停があり,本数は少ないながらも公共交通機関によるアクセスも可能であった. ただし,車は少なからず通るものの歩行者は皆無な場所であるから,道路脇に立って旧橋を眺めていると,訝しげな視線を常に感じることになる.また,現橋やランプウェイ (30mも進むと歩行者通行禁止区間となる) に歩道はないため,旧橋を眺める際は十分な注意が必要である.

参考文献

  1. 奈良県教育委員会・編 "奈良県の近代化遺産―奈良県近代化遺産総合調査報告書" 奈良県教育委員会,p. 135.
  2. はみ男 (2020) "旧長尾橋の銘版と反対側の確認―はみ男の日記(仮)" 2021年5月9日閲覧.