交通遺産をめぐる

隧道,橋梁,廃道などの交通に関する土木遺産を探索し,「いま」の姿をレポートしています.レポートマップはトップページにあります.

津市美里町・伊賀市の (旧) 長野隧道と国道163号旧道 (2021. 3. 6.)

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伊勢国伊賀国を隔てる長野峠に眠る明治隧道・旧長野隧道を訪ねた.ついでに,その次の世代,すなわち昭和道である国道163号旧道とトンネル (長野隧道) の現況についても見て来た.

旧長野隧道 (伊勢側)

旧長野隧道は,これまで訪問した廃隧道と違って,遺構として管理・整備されている. とはいえ,ここは昭和道を1kmほど進んだ行き止まりであるから,偶然通りがかった観光客が来るようなことはなく,ひっそりとしている.私が訪れた日は土曜日だったが,最後まで誰とも出会わなかった.

 

伊勢側の昭和道の行き止まり付近には駐車スペースがあり,そこには伊勢側・伊賀側の扁額が置かれている.本当は隧道に掲げたままにしておいて欲しいのだが,落下して損傷するのを恐れたのだろうか?

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伊勢側の扁額には「補造化」.「造化を補う」すなわち「天の創造した自然に巧みに手を加える」という意味である.漢語には詳しくないが,調べてみたところ,中国の高軒過という詩に「筆補造化天無功」,つまり「筆は天地自然を補い,さらにそれらを凌ぐほどである」という,文才を褒めたたえる一節があるようだ.この「筆補造化」の部分は日本でも江戸時代に書家・韓天寿が製作した蔵書印に彫られていたり浮世絵師・長谷川貞信が制作した錦絵に大書されていたりする程度には知られていたようだから,それをアレンジしたのであろう.前者の韓天寿が伊勢の人であったことも無関係ではないと思われる.センスがあるなあ…

 

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伊賀側の扁額には「其功以裕」.「其の功を以って裕とする」ということなので,おそらく隧道という功績による人々の繁栄を祈願しているのであろう.何しろ明治時代のことである.今よりずっと大変だった隧道工事を成し遂げたという達成感と,その隧道に託した願いが感じられる.

それにしても,両坑門で扁額の文字が違うというのはよくあるが,どちらも隧道名でないというのは珍しい気がする. 

 

続いて隧道本体へ向かう.

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看板があったり,滑りやすそうな丸太橋に代わって階段が設えてあったりと,遊歩道と呼べるほどに整備されている.ただし,この道は隧道が現役であった当時の明治道 (旧旧道) ではない.旧旧道は眼下の旧道を挟んだ反対側にあったらしい.ともかく,遊歩道を辿ることおよそ5分…

 

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総切石造りの圧倒的迫力.御年135歳,さすがの風格…

 

内部も見ようとしたものの,

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スマホカメラではこれが限界.実はこの日,私は愚かなことにライトを忘れてきた.スマホのライトでは心許ないので内部はろくに探索しなかったのだが,後から調べてみたところ,路肩に敷き詰められた切石や退避坑らしき横穴,煉瓦による補修などがあったらしい.そのうち装備を整えて再訪したいと思う.

 

なお,伊賀側坑門はほとんど埋まっており,扁額もない (上で示したように伊勢側の駐車スペースに置かれているので当たり前) という事前情報があり,時間の都合もあったため今回は訪問していない.

長野隧道 (昭和) と昭和道 (国道163号旧道) 

昭和隧道は明治隧道のほぼ真下に位置するため,明治隧道を訪問する際,必ずその姿を目にすることになる.まず,上の「⇒明治のトンネル」の看板から右 (旧道の道なり) に進むと,昭和隧道の東側坑門が現れる.

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見ての通り扁平なコンクリート造りだが,苔むしていて雰囲気がある.右書きの扁額があるのが昭和初期という時代を物語っている.鉄板で塞がれているので当然内部の様子は伺えない.車止めの先,坑門前の道路は随分荒れていて,廃道としての魅力がある.ちなみに,明治隧道の扁額のある駐車スペースまでも旧道ではあるが,近くの風力発電所の関係車両も通るためか,それほど荒れていなかった.

 

西側坑門にも回ってみた.もちろん現道のトンネルを抜けて.

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こちら側も扁額が残っているのが素晴らしい.そして道路は廃道状態.

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廃道化してから23年,良い廃化具合である.以前「廃道をゆく 3」で,廃止から30年の国道303号旧道が「ちょうど食べごろ」と取り上げられていたのを思い出す.

 

帰路,伊賀側旧道で落下枝を除けるついでに撮影.

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伊賀側の旧道はほとんど使われていないようで,バリケードより手前も随分荒れていた.1枚目では,本来二車線の道路が,枯れ枝が路面を埋め尽くしているせいで,まるで一車線のようになっている.2枚目の看板には,わかりにくいが「津↑ 22km」と書いてある.古びた看板は良い.

おまけ

道中,南山城村の道の駅で食べた期間限定の桜抹茶ソフトが美味しかった.

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